【容易想到性は試してみようと考える合理的な理由があれば足り成功の見込みは要求されないとされた事案(化学)】
投稿日:2026年8月14日 |
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著者:弁理士 梅田 慎介
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参照条文/キーワード/論点 |
特許法第29条第2項/進歩性/容易想到性/化学・材料 |
ポイント
・本件は、日本触媒が保有する、紫外線吸収剤を含有する熱可塑性アクリル樹脂組成物に関する特許について、カネカが進歩性欠如を理由として請求した無効審判に関する審決取消訴訟である。本件特許の請求項1は、主鎖にラクトン環構造等の環構造を有する熱可塑性アクリル樹脂と、特定のヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有し、分子量が700以上である紫外線吸収剤とを含み、ガラス転移温度(Tg)が110℃以上である熱可塑性樹脂組成物を対象としていた。 |
判決概要 |
| 裁判所 | 知的財産高等裁判所第3部 |
| 判決言渡日 | 令和8年4月16日 |
| 事件番号 | 令和7年(行ケ)第10023号 |
| 事件名 | 審決取消請求事件 |
| 裁判長裁判官
裁判官 裁判官 |
中平 鍵
今井 弘晃 水野 正則 |
事案の概要
1. 経緯
⑴ 被告は、平成20年6月13日を出願日とし、名称を「熱可塑性樹脂組成物とそれを用いた樹脂成形品および偏光子保護フィルムならびに樹脂成形品の製造方法」とする発明につき特許出願(特願2008-155734号をし、平成24年4月20日、特許権の設定登録(特許第4974971号)を受けた。
⑵ 原告は、令和5年7月27日、本件特許のうち特許請求の範囲の請求項1及び6に記載された発明についての特許を無効とすることを求める無効審判請求をした(無効2023-800048号事件)。
⑶ 特許庁は、令和7年2月10日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をした。原告は、令和7年3月26日、本件審決の取消しを求めて本件訴えを提起した。
2. 本件発明
【請求項1】
ラクトン環構造、無水グルタル酸構造、グルタルイミド構造、N-置換マレイミド構造および無水マレイン酸構造から選ばれる少なくとも1種の環構造を主鎖に有する熱可塑性アクリル樹脂と、ヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有する、分子量が700以上の紫外線吸収剤と、を含み、
110℃以上のガラス転移温度を有する熱可塑性樹脂組成物。
ここで、前記ヒドロキシフェニルトリアジン骨格は、トリアジンと、トリアジンに結合した3つのヒドロキシフェニル基とからなる骨格((2-ヒドロキシフェニル)-1,3,5-トリアジン骨格)である。
*請求項6は、請求項1の物クレームに対応する製造方法クレーム。
争点
3. 争点
⑴ 取消事由1:審理不尽(省略)
⑵ 取消事由2:本件審決の認定した引用発明に基づく進歩性判断(相違点に関する判断)の誤り
⑶ 取消事由3:本件発明の効果に関する判断の誤り(省略)
4. 取消事由2
甲1発明(WO2006/112223)における紫外線吸収剤として、甲2(JP2002-543265T)に開示された化合物K、O又はPを採用することが、当業者にとって容易であったかが中心的な争点となった。
甲1には、甲2に記載された紫外線吸収剤が「本発明に適した紫外線吸収剤」として明示されていた。
(1) 甲1の関連記載
【0027】
上記紫外線吸収剤としては、例えば、本発明に適した任意の紫外線吸収剤を選択できる。例えば、特開2001-72782号公報や特表2002-543265号公報に記載の紫外線吸収剤が挙げられる。また、上記紫外線吸収剤の融点は、110℃以上が好ましく、120℃以上がより好ましい。
【0006】
本発明は上記従来の課題を解決するためになされたものであり、その目的とするところは、(1)優れた紫外線吸収能力を有するとともに、優れた耐熱性、優れた光学的透明性を有する偏光子保護フィルムを提供すること、(2)そのような偏光子保護フィルムと偏光子とを用いた、外観欠点が少ない偏光板を提供すること、(3)そのような偏光板を用いた高品位の画像表示装置を提供すること、にある。
原審(原々審)の判断
5. 審決の判断
・特許庁は、甲1には、ラクトン環構造を有するアクリル樹脂と紫外線吸収剤を含み、これを厚さ80μmのフィルムに成形した場合に、次の三つの要件を満たす樹脂組成物が記載されていると認定した。
- 380nmにおける光線透過率が30%以下
- 紫外線吸収剤を含まないフィルムとのTg差が3℃以内
- 黄色度(YI)が1.3以下
その上で、甲2には多数のトリアジン系紫外線吸収剤が記載されているものの、そのうちどの化合物が甲1の三要件を同時に満たすかは明らかでないから、甲2に記載されている紫外線吸収剤のいずれかを選択して甲1発明に適用する動機付けはなしとした。
『⑴ 甲1に記載された発明について(本件審決「理由」第6の1⑴)
甲1は、「優れた紫外線吸収能力を有するとともに、優れた耐熱性、優れた光学的透明性を有する偏光子保護フィルムを提供すること」を発明の課題とするものであり(段落[0006])、・・・請求項1の偏光子保護フィルムを形成する樹脂組成物は、甲1の発明の課題を解決するために、厚さ80μmの偏光子保護フィルムに成形した場合に、「該偏光子保護フィルムの厚み80μmにおける380nmでの光線透過率が30%以下」(以下「要件a」ともいう。)、「該偏光子保護フィルムの15 Tgと該紫外線吸収剤を含まない以外は該偏光子保護フィルムと同じフィルムのTgの差が3℃以内」(以下「要件b」ともいう。)、「厚み80μmにおけるYIが1.3以下となる」(以下「要件c」ともいう。)を同時に満たすように調製されるべきものである。』
『(イ) 甲2の段落【0068】には、s-トリアジン紫外線吸収剤の具体例として化合物E~Pの12種類の化合物が記載されているところ、それらのうち、化合物K、O、Pは、前記相違点に係る本件発明1の「ヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有する、分子量が700以上」であって、ヒドロキシフェニルトリアジン骨格が本件ヒドロキシフェニルトリアジン骨格である「紫外線吸収剤」に該当するものである。しかし、甲2には、甲2に記載される紫外線吸収剤が甲1に「適した」ものであることや、甲2に記載される紫外線吸収剤が甲1の要件a~cを同時に満たすものであることを当業者が認識するような記載や示唆はなく、甲2の全ての記載を考慮しても、甲2には、甲2に記載されている紫外線吸収剤のいずれかを選択して甲1発明Aに適用する動機付けがない。』
・また、紫外線吸収性能を高めると黄色度又はTgが悪化するトレードオフが存在するから三要件を充足するかはなおさら明らかでなく、化合物K及びPは甲1で好ましいとされた融点を下回ることからも、甲1発明にこれらの化合物を適用する動機付けはないと判断した。
『(ウ) 要件a、要件b及び要件cの関係性について確認すると、フィルムの紫外線吸収性能に関する要件aと黄変度に関する要件cとは、一方の性能を高めようとすると他方の性能が連動して劣るようになる、トレードオフの関係であることがうかがえ、また、フィルムの紫外線吸収性能に関する要件aとTgに関する要件bも、一方の性能を高めようとすると他方の性能が紫外線吸収剤の種類や量により連動して劣るようになる、トレードオフの関係であることがうかがえる。そして、甲1、甲2、さらに原告(請求人)の提出したいずれの証拠にも、甲2に記載される化合物K、O、Pが、甲1の要件aないしcを同時に満足することは記載も示唆もされていないといえるから、甲2に記載される化合物K、O、Pが、甲1の要件aないしcを満足することを、本件優先日前に当業者が技術常識に基づいて認識し得たとはいえず、甲2に記載される化合物K、O、Pを選択して甲1発明Aに適用する動機付けはない。』
『(エ) 甲1発明Aの紫外線吸収剤の選択にあたり、甲1の段落[0027]によれば、フィルム製造時のロール汚れを発生しにくくする観点から、融点が110℃以上の紫外線吸収剤を選択することが好ましいものであるところ、甲2の化合物Kの融点は55~56℃、化合物Pの融点は-20℃と、甲1において好ましい下限である110℃を大きく下回っていることから、甲2に記載される化合物K、Pを甲1発明Aに適用する動機付けはない。』
判旨
6. 裁判所の判断
・裁判所は、甲1には、甲2に記載された紫外線吸収剤が「本発明に適した紫外線吸収剤」として明示されていることを重視し、当業者は、化合物K、O又はPを甲1発明に適用した場合に、甲1の三要件を満たす可能性があると認識し、実際に適用して確認・検討する動機付けを有すると判断した。裁判所は、三要件を確実に満たすことを事前に認識できなければ、組合せの動機付けが認められないわけではないと明確に判示した。すなわち、要件を満たす可能性があると認識し、実験による確認を行うことが動機付けられれば足りるとした。
『ア(ア) 前記⑵のとおり、甲1の段落[0027]に甲2の公表特許公報が挙げられている。そして、その記載は、「上記紫外線吸収剤としては、例えば、本発明に適した任意の紫外線吸収剤を選択できる。例えば、特開2001-72782号公報や特表2002-543265号公報(甲2)に記載の紫外線吸収剤が挙げられる。」というものである。この記載によれば、甲1には、甲2に記載されている紫外線吸収剤を甲1の偏光子保護フィルムに用いることの示唆があり、かつ、甲2に記載されている紫外線吸収剤を「本発明に適した・・・紫外線吸収剤」と記載しているということができる。』
『当業者は、甲2に記載された紫外線吸収剤である化合物K、O、Pについて、これを用いて樹脂組成物を製造し、この樹脂組成物から偏光子保護フィルムを作製した場合に、当該偏光子保護フィルムが要件aないしcの全てを同時に満たす可能性があると認識し、これらの紫外線吸収剤を甲1発明Aにおける紫外線吸収剤として適用し、その場合に得られる樹脂組成物を用いて作製されるフィルムが実際に要件aないしcを満たすものとなるか否かという、フィルムによって奏される効果について確認・検討することが動機付けられるといえるのであって、要件aないしcを確実に同時に満たすものであると認識して初めて動機付けがあることになるとは解されない。』
・また、裁判所は、紫外線吸収性能と黄色度又はTgとの間にトレードオフがあるとしても、それだけで化合物K、O、Pを試すことまで妨げるものではないとした。甲1には融点110℃未満の紫外線吸収剤も使用可能なものとして挙げられているため、甲1における融点110℃以上との記載は好ましい条件にすぎず、動機付けを否定する事情にも阻害要因にもならないと判断した。
『甲2に記載された化合物K、O、Pについて、これを用いて樹脂組成物を製造し、この樹脂組成物から偏光子保護フィルムを作製した場合に、作製されるフィルムが要件aないしcを同時に満たすものと当業者が認識することができて初めて動機付けがあることになるものではない。』
『甲1において、フィルム製造時のロール汚れの防止の観点から融点が110℃以上の紫外線吸収剤を選択することが好ましいとの記載が存在するとしても、そのことをもって、融点が110℃未満の紫外線吸収剤を甲1発明Aに適用することの動機付けがないとか、これを適用することについて阻害要因があると認められることには直ちにならない。』
解説/検討
・特許庁は、動機付けの有無に「成功の見込み」を重視したといえる。特には、特許庁は、甲1の課題を紫外線吸収性だけではなく、光学透明性、耐熱性、黄色度まで含めた三つの性能を同時に満たすことと認定し、甲2の化合物K,O,Pが本当に三つ全部を満たすか分からないから採用する動機付けがないとした。甲1の「紫外線吸収性を高めると黄色度、Tgが悪化するというトレードオフがある」との記載や「融点110℃以上が好ましい」との記載に関する判断も「成功の期待がない」との考え方であり、「引用発明の全ての性能要件を満たす見込みが十分でない以上、当業者は採用しない」との判断である。
・裁判所は、「試してみようと思う理由」で十分とした。「動機付け」とは、当業者がその構成を採用して実験・検討してみようと考える合理的な理由があるかどうかであり、採用前の段階で成功が確実に予測できることまでは要求されないとした。
・無効審判の被請求人としてはトレードオフの存在や好ましい条件から外れていることを阻害要因的に主張したいのはもっともであり、特許庁はそこに乗っかってくれたものの、裁判所は当業者がその構成を試そうと考えること自体を妨げる「真」の阻害要因はなしとの厳しい判断であった。
