【職務発明規程の遡及適用の可否と医薬品における「独占の利益」の有無(特許法35条)】
投稿日:2026年4月30日 |
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著者:弁護士 盛田 真智子
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参照条文/キーワード/論点 |
平成16年改正前特許法35条3項/平成16年改正前特許法4項(現特許法35条4項、5項)/職務発明/相当の対価(相当の利益)/職務発明規程の遡及適用/黙示の合意/独占の利益/医薬品/再審査期間/データ保護期間/仮想実施料率 |
ポイント
本件は、平成16年改正前特許法35条に基づく職務発明の「相当の対価」が争われた事案である。 |
判決概要 |
| 裁判所 | 大阪地方裁判所第21民事部 |
| 判決言渡日 | 令和7年3月28日 |
| 事件番号 | 令和4年(ワ)第11405号 |
| 事件名 | 職務発明の譲渡対価請求事件 |
| 裁判長裁判官
裁判官 裁判官 |
武宮 英子
阿波野 右起 島田 美喜子 |
事案の概要
1 特許
特許番号:特許第4479152号
出願日:平成14年4月25日
登録日:平成22年3月26日
発明の名称:複素環誘導体及び医薬
発明者:原告、B及びC
2 経緯
(1)当事者
ア 原告は、昭和63年4月に被告に入社し、創薬研究の業務に従事し、令和4年3月に被告を定年退職した。
イ 被告は、大正8年に設立された、医薬品、医薬部外品等の製造、売買ならびに輸出入等を目的とする株式会社である。
(2)職務発明及び特許を受ける権利の承継
ア 原告は、被告の従業員であった期間に、同従業員であったB及びC(原告、B及びCを併せて「原告ら発明者」という。)と共に、職務発明として一般名「セレキシパグ」(被告における開発記号「NS-304」)という化合物(以下「本件化合物」という。)の発明(以下「本件発明」という。)を完成させ、完成と同時に、被告に対し、本件発明に係る特許を受ける権利を承継させ、被告宛の譲渡証書を作成した。
なお、共同発明者間の貢献割合は、各3分の1である。(争いなし)
イ 本件特許は、医薬品の有効成分となる本件化合物の物質特許を含むものである。
(3)本件特許及び対応外国特許
ア 被告は、本件発明につき、平成13(2001)年4月26日に基礎出願(特願2001-129765)を、平成14(2002)年4月25日に、PCT出願(PCT/JP02/04118)をした。
イ 被告は、本件発明につき、平成14年4月25日に特許出願をし、本件特許に係る特許権の設定登録を受けた。
ウ PCT国際出願及びパリ条約による国際出願に基づく本件特許の対応外国特許は、27件である。
(4)被告による医薬品の販売等
ア 被告は、本件化合物を有効成分とする医薬品「ウプトラビ錠0.2mg」及び「ウプトラビ錠0.4mg」(選択的プロスタサイクリン受容体アゴニストであるセレキシパグ。以下「本件医薬品」と総称する。)につき、製造販売の承認申請をし、平成28年9月28日、「効能・効果」及び「用途」を「肺動脈性肺高血圧症(PAH)」とする承認を取得した。
イ 本件医薬品は、同年11月21日、国内において上市した。
(5)ライセンス契約の締結等
ア 被告は、スイスの製薬会社である Actelion Pharmaceuticals Ltd. (以下「アクテリオン」という。)との間で、ライセンス契約(以下「本件ライセンス契約」という。)を締結し、以後、アクテリオンから、本件ライセンス契約に基づき、ライセンス料を受領した。
イ アクテリオンは、その後、米国及び欧州等の各国の薬事規制の下で、本件医薬品についてPAHを適応症とする承認を受け、本件医薬品はこれら各国で上市した(なお、米国における上市は平成28年1月である。)。
(6)被告の職務発明規程
本件発明完成後に、被告において、初めて職務発明規程、職務発明管理規程、職務発明報奨規程が発効された(以下「本件職務発明規程」と総称する。)
(7)被告による「報奨金」の支払
被告は、原告に対し、本件発明につき、本件職務発明規程(改訂後の報奨規程を含む。)に基づき、次の「報奨金」名目で合計651万9000円を支払った。なお、被告は、上市後5年目以降の「実績報奨金」の支払について、令和4年7月15日付け書面により原告に通知したが、原告から異議申立てを受けたため、支払っていない(なお、「上市後3年目」とは、米国における上市(平成28年1月)に照らし、平成29年10月1日から平成30年9月30日までを指す。)
ア 平成14年 「出願報奨金」として3000円
イ 平成22年 「登録報奨金」として1万円
ウ 平成29年 本件医薬品の「上市後報奨金」として15万9000円
エ 令和2年 上市後3年目の「実績報奨金」として246万4000円
オ 令和3年 上市後4年目の「実績報奨金」として388万3000円
争点
1 本件職務発明規程の適用の有無(争点1)
2 独占の利益の有無(争点2)
3 相当の対価額(争点3)
ア 自己実施分について
イ 他者実施分について
争点に関する当事者の主張
1 争点1(本件職務発明規程の適用の有無)について
【原告の主張】
本件発明が完成したのは本件職務発明規程の発効前であり、被告の主張のとおり同日に特許を受ける権利を被告に移転したのであれば、その後の同年5月22日に発効された本件職務発明規程が適用されることはない。本件発明に対する相当の対価については、平成16年改正前特許法が適用される。
【被告の主張】
原告と被告の間には、原告が職務発明を行った場合、それに基づく特許を受ける権利を被告に譲渡する旨の合意が形成されていた(争いなし)。
本件発明の特許を受ける権利は、本件発明の完成時点で被告に承継された。原告から被告に対し、本件発明の特許を受ける権利が譲渡されたことに加えて、被告が原告に対して、本件職務発明規程に基づく報奨金を支払い、原告も上市後4年目の実績報奨の支払までは異議申立てすることなく報奨金を受領してきたことから、少なくとも、原告と被告との間の個別の合意として、本件発明につき、本件職務発明規程を適用する合意がなされていたといえる。
2 争点2(独占の利益の有無)について
【原告の主張】
本件発明に係る被告の実施及び他者(アクテリオン)実施のいずれについても、本件特許による「独占の利益」はある。
【被告の主張】
本件発明に係る被告の実施及び他者(アクテリオン)実施のいずれについても、本件特許による「独占の利益」はない。(被告の自己実施による売上・利益に関し、日本の再審査制度並びに米国及び欧州の薬事制度において、新医薬品の製造販売承認を得た者には、特許の有無にかかわらず市場の独占が認められるから、特許による「独占の利益」はないとの主張。)
判旨
1 各国における薬事制度の概要等
(1)日本における再審査制度
再審査制度とは、既に製造販売承認が与えられている医薬品と有効成分、分量、用法、用量、効能、効果等が明らかに異なる医薬品として厚生労働大臣がその承認の際指示したもの(以下「新医薬品」という。)について、製造販売承認を得た者は、当該新医薬品の製造販売承認取得後に、さらに再審査を受けなければならないというものである(薬機法14条の4第1項)。すなわち、再審査制度は、新医薬品には、未知の副作用が発現し、臨床試験とは異なり実際の医療現場では使用患者の多様性が大きく広がることから、承認後から一定期間(再審査期間(試験データ保護期間))が経過した後、製薬企業において実際に医療機関で使用されたデータを集め、承認された効能効果、安全性について再度確認するための制度である。
新医薬品と同等の医薬品の承認申請については、医薬品の品質、有効性、安全性を確保する観点から、新医薬品の承認後8年間(平成18年当時は6年間。ただし、希少疾病用医薬品については10年間)は、新医薬品と同様の試験データを添付することが求められており、この期間は結果として新医薬品の試験データを保護する期間となっている。
また新医薬品の製造販売承認申請をした者以外の第三者は、新医薬品と有効成分、分量、用法、用量、効能及び効果等が同一性を有すると認められる医薬品の承認申請を行う場合、新医薬品の承認申請に係るデータを援用したうえで、安定性、生物学的同等性等のみを示すことで承認申請をすることができるが(いわゆる「簡略申請」)、新医薬品の再審査期間中は、簡略申請を行うことができない(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律施行規則(以下「薬機法施行規則」という。)40条2項)。本件医薬品の第一承認に基づく再審査期間は、平成28年9月28日から令和8年9月27日までであり、第二承認に基づく再審査期間は令和3年8月25日から令和13年8月24日までである。
(2)米国における薬事制度
米国においては、低分子医薬品(分子量496.62の本件医薬品を含む。)の承認申請について、合衆国法典第21編第9章(Title 21 Chapter 9 of the United States Code)の連邦食品・医薬品・化粧品法(Federal Food、 Drug、and Cosmetic Act )(以下「FDCA」という。) により、薬事制度上のExclusivity(Regulatory Exclusivity。市場独占)が定められている。具体的には、新規の医薬品の承認申請(New Drug Application:NDA)について、新規化合物に関するExclusivity(new chemical entity(NCE) exclusivity)や希少疾病用医薬品に関するExclusivity(orphan drug exclusivity(ODE))などが定められている。
ODEは、希少疾病又は病態の治療に用いられる希少疾病用医薬品に認められるExclusivity であり、承認又はライセンスから7年間の Exclusivity 期間中は、米国食品医薬品局(the U. Food and Drug Administration:FDA)長官は、当該承認された又は当該ライセンスの保有者ではない者について、同一の疾患に対する同一の医薬品について、FDCAに「本編355条に基づく別の申請を承認し、又は、第42編第262条に基づく別のライセンスを発行しないことができる」と定められている(合衆国法典第21編第360条)。ODEでは、希少疾病用医薬品の承認を受けた者に対して一定の独占性が付与されているが、他方で、①患者救済の公共の利益、及び②ODE保持者の書面での承認を得る場合にはExclusivity 期間中であっても、FDA長官は後発医薬品申請者に承認を与えることがある。
(3)欧州における薬事制度
欧州議会および欧州理事会規則(EC)は、新規の医薬品について、承認から8年間のデータ保護期間(Data Exclusivity)及び10年間の市場保護期間(Market Protection)を定めている(No726/2004第14条11項。なお、市場保護期間は、データ保護期間中に、承認保持者が画期的な効能について追加承認を取得することができた場合、更に1年間延長される。)。データ保護期間中は、製造販売承認保持者がその医薬品の前臨床試験や臨床試験のデータに対する独占的権利を有し、他の承認申請者が、後発医薬品やバイオ後続品などに対する自社の製造販売承認申請を裏付けるためにこれらのデータを援用することができない。また、市場保護期間中は、後発医薬品やバイオ後続品について製造販売承認が得られたとしても、上市することができない。ただし、データ保護期間及び市場保護期間に、新医薬品メーカー以外の者が独自に臨床試験を行って承認を取得することは禁止されておらず、データ保護期間と市場保護期間の規定は、独自に作成された前臨床及び臨床試験データに依拠する後発医薬品又は類似品の販売承認申請を妨げるものではないとされている。
2 争点1(本件職務発明規程の適用の有無)について
原告と被告との間では、被告の従業員としてした職務発明について、発明の完成と同時に、当該発明に係る特許を受ける権利が被告に移転する旨が合意されていた(争いなし)。そして、本件職務発明規程は、(伏せ字。)
しかし、本件職務発明規程には、本件発明のように、上記定めに記載された発明に該当しない発明にも同規程が適用される旨の定めはなく、本件記録上、原告と被告との間で、上記のような発明に本件職務発明規程を適用する旨の合意が成立したと認めるに足りる証拠もない。
したがって、本件発明に関する対価の算定について、本件職務発明規程の適用を認めることはできず、平成16年改正前特許法に基づき算定するのが相当である。
この点、被告は、本件職務発明規程に基づく実績報奨金を原告が受領していたことをもって、原告は本件職務発明規程の適用について合意していたと主張するが、原告は同規程に基づく報奨金の額に従前より疑問を呈し、上市後5年目以降の報奨金の受領を拒否していたのであるから、上記受領の事実をもって、被告主張の合意が成立していたと認めることはできない。
3 争点2(独占の利益の有無)について
(1)被告は、被告の自己実施による売上・利益に関し、日本の再審査制度並びに米国及び欧州の薬事制度において、新医薬品の製造販売承認を得た者には、特許の有無にかかわらず市場の独占が認められるから独占の利益はない旨主張する。しかし、再審査制度並びに米国や欧州の各薬事制度の内容は上記のとおりであり、製造販売承認取得後一定期間、第三者による後発医薬品としての製造販売承認申請を困難ならしめる定めがあり、これにより事実上、所定の期間、第三者の市場への参入が制限されることは否定できないが、法律上、後発医薬品としての製造販売承認申請及び承認取得が一切禁じられているわけではなく、第三者による参入を阻止するのはあくまで特許権の排他的効力にほかならない。また、欧米の薬事制度においては希少疾病用医薬品や新規の医薬品の承認を受けた者に対して一定の市場独占的効果が法律上付与されるとしても、それらは特許制度とは別個の法律上の制度であり、効果も異なる。かかる薬事制度による独占的効果が特許権の排他的効力と併存する場合に、特許による独占の利益が否定ないし減殺されると解することはできない。そうすると、再審査期間中やExclusivity 期間中であっても、この間に、本件特許の実施により得た被告の利益については、本件特許による独占の利益があると認めるのが相当である。
(2)また、被告は、被告の他者に対するライセンスによる収入に関し、①・・・本件特許の禁止権不行使の対価ではない、②仮に、本件特許のライセンスの対価部分が存在するとする場合、被告は、本件特許の特許を受ける権利の承継を受けなかったとしても、職務発明報酬請求の場面においては、法定通常実施権に基づき外国特許に関する部分についても本件発明を実施することができると解され(特許法35条1項の類推適用)、・・・法定通常実施権に基づき適法になし得たものであり、当該行為により、本件発明に係る米国特許は消尽するから、アクテリオンが米国において本件医薬品の輸入・販売事業を遂行するために、本件発明に係る米国特許のライセンスが必要であったとはいえず、当該対価部分は、本件特許の特許を受ける権利を承継することによってはじめて受けることができる利益ではない旨主張する。しかし、上記①の点につき、本件ライセンス契約には、・・・本件特許及び対応外国特許のライセンスも内容として記載されているから、本件ライセンス契約に基づくアクテリオンからの実施料収入には、本件特許の禁止権不行使の対価も含まれるというべきである。上記②の点については、仮に理論上被告の主張する消尽が成立し得るとしても、本件ライセンス契約の当事者間においてそれにかかわらず本件特許及び対応外国特許をも対象とするライセンス契約を締結し、当該契約に基づくライセンス料の授受が行われているのであるから、当該実施料収入の全部が本件特許の特許を受ける権利を承継することによる利益ではないと解することは困難である。
以上によれば、本件ライセンス契約に基づいて被告が受領した実施料収入については、本件特許及び対応外国特許に係る独占の利益があると認めるのが相当である。
4 争点3(相当の対価額)について
平成16年改正前特許法35条4項は、同条3項所定の「相当の対価」の額について、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない」と規定するから、相当の対価を算定するに当たっては「その発明により使用者が受けるべき利益の額」及び「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」を考慮すべきである。
そして、上記使用者が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者が貢献した程度については、本来、使用者が特許を受ける権利を承継した時点での価値として把握されるべきものであるが、権利承継の時点までの資料によってそのような価値を把握することは困難であり、相当対価の算定に当たっては、使用者等が特許を受ける権利を承継して特許を取得した結果、現実に利益を得たときはその得た利益の額及びその利益を得るについて使用者が貢献した程度等の権利承継後の事情を資料として判断するのが相当である。
使用者等は、職務発明について、特許法35条1項により無償の通常実施権を取得するから、「その発明により使用者等が得るべき利益」とは、使用者等が通常実施権の実施により得るべき利益を控除した特許発明の実施を排他的に独占することにより得るべき利益というべきである。したがって、特許権者たる使用者等が他者に特許をライセンスして利益を得ている場合には、それは、使用者等が特許発明の実施を排他的に独占することによって得るべき利益を算定する基礎となる。他方、特許権者たる使用者等が自ら発明を実施している場合における、特許発明の実施を排他的に独占することによって得るべき利益とは、使用者等に認められる無償の通常実施権分に基づく売上高を除いた売上高(超過売上高)を発明の実施に関する諸般の事情を考慮して定めた上で、その超過売上高を基礎として、それが他社にライセンスされた場合の他社に対するライセンス料相当額として算定するのが相当であり、具体的には超過売上高に仮想実施料率を乗じた額となる。特許権者が、特許発明を実施しつつ、他社に実施許諾もしている場合については、当該特許発明の実施について、実施許諾を得ていない他社に対する特許権による禁止権を行使したことによる超過売上げが生じているかどうかを個別に判断することとなる。
(1)自己実施分について
ア 超過売上高
(ア) 算出基礎となる売上高
・・・
(イ)超過売上率
本件発明は物質特許であり、本件医薬品は本件発明の実施品であるところ、原告は、超過売上率を50%とする旨主張する。一方、被告は、国内における再審査制度によって再審査期間中である令和4年までの間は、事実上、一定程度同一の効能効果等を有する医薬品の参入が困難であることも考慮すると、後発医薬品の市場参入による本件医薬品の売上数量の減少率は50%程度にとどまると解されるところ、当該減少分に相当する50%が再審査制度による事実上の排他的効力及び本件特許の排他権による超過売上率であり、そのうち本件特許の排他権の貢献割合は25%を上回らないから、本件特許に起因する超過売上率は多くとも12.5%である旨主張する。
後発医薬品の市場参入による本件医薬品の売上数量の減少率が50%程度であることは当事者間において共通認識であると解されるところ、上記3のとおり、第三者による市場への参入を阻止するのはあくまで特許権の排他的効力によるものであり、再審査制度による独占の利益が生じているとはいえない。以上を総合すると、超過売上率は50%と認めるのが相当である。
イ 使用者貢献度
(ア)本件発明の完成までの間
・・・省略
(イ)本件発明の完成後
上記1(3)(4)のとおり、被告は、本件発明の完成後、主として特許部において特許出願及びPCT出願を行い、その費用をすべて負担したうえ、本件医薬品の承認取得に向け、各種必要な臨床試験を実施している。この点、一般に新薬の創製は、極めて成功率が低く、何らかの化合物が合成されたとしても製品化に成功する例はごくわずかであり、長期間にわたって多額の費用を要するものであるところ、とりわけ希少疾病用医薬品については他の医薬品と異なり先行例が少なく成功率も更に低いものと解される。被告は、市場規模の予想を踏まえた検討を重ねて、第1適応症を肺動脈性肺高血圧症(PAH)とする本件医薬品の開発を決定し、10年以上の期間にわたって、国内外で各種試験を行っている。また、肺動脈性肺高血圧症(PAH)の患者数は格段に少なく臨床試験の症例数の確保が困難であり、一般の医薬品よりも承認取得までに多大な労力と努力を要することが容易に想像できるところ、被告は、海外導出を決定し、多数の導出先候補から、肺動脈性肺高血圧症(PAH)の医薬品の開発、販売の知見を有するアクテリオンを選定して本件ライセンス契約を締結し、国内外での臨床試験の実施を可能とした上で、最終的には国内外で本件医薬品の承認を取得するに至っている。また、被告は、社内で綿密な検討を行って、会社の利益になるために高額の薬価取得を目指して努力し、結果的に、本件医薬品について高額な薬価を取得し、売上げの拡大を導いている。本件医薬品の売上高は上記のとおりであり、国内のみならず国外においても多大なものとなっているところ、このような利益の拡大につながる本件医薬品の承認販売に向けた上記一連の被告の貢献は、非常に大きいものと評価するのが相当である。
原告は、使用者貢献度が90%を超えるものではない旨主張するが、上記のとおり、希少疾病用医薬品の開発に伴うリスクと費用は他の医薬品の開発と比較しても大きく、有効な化合物が合成されたとしても、製品化に成功し、医薬品が製造販売の承認を得て順調に収益される確率は極めて低いものであり、本件において、本件化合物が合成された後、製剤から上市までの過程におけるリスクと費用を基本的に被告が負担したとの事情は特に考慮すべきである。
(ウ)以上の検討によれば、本件における使用者貢献度は、99%であると認めるのが相当である。
ウ 仮想実施料率
・・・仮想実施料率については、本件ライセンス契約のライセンス料率を考慮してこれと同率とすることは相当ではなく、「製薬分野」の平均的な実施料率である5.9%と認めるのが相当である。
エ 共同発明者間の貢献割合
原告の共同発明者間の貢献割合は、3分の1である。(争いなし)
オ 中間利息控除
・・・
カ 小括
以上によれば、自己実施分に係る相当対価の額は、次の計算式により算出される●●●●●●●●●(小数点以下四捨五入)であると認められる。
(計算式)
●●●●●●●●●●●●●●×0.5×(1-0.99)×0.059÷3
(2)他者実施分について
ア 実施料相当額
・・・
イ 使用者貢献度
上記(1)で検討したとおり、使用者貢献度は99%と認めるのが相当である。
ウ 本件特許の貢献割合
・・・これらの事情に照らせば、本件特許が本件発明を内容とする物質特許であることを考慮しても、上記ライセンス収入に対する本件特許及び対応外国特許の貢献割合は、25%を超えるものではないというべきである。
エ 共同発明者間の貢献割合
原告の共同発明者間の貢献割合は、3分の1である。(争いなし)
オ 小括
以上によれば、他者実施分に係る相当対価の額は、次の計算式により算出される●●●●●●●●●●(小数点以下四捨五入)であると認められる。
(計算式)
●●●●●●●●●●●●●●●×(1-0.99)×0.25÷3
(3)既払金
前記前提事実のとおり、原告は、被告から本件発明に対する対価として、合計651万9000円の支払を受けている。
(4)まとめ
以上によれば、原告は、令和4年末までの本件発明に対する相当対価として9399万8140円(=●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●―651万9000円)及びこれに対する遅延損害金の支払請求権を有するものと認められる。
解説/検討
職務発明に関する特許法35条の改正の経緯は以下のようなものである。
・平成16年改正前の特許法35条
「3 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより、職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者等のため専用実施権を設定したときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。
4 前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない。」
対価額の具体的算定基準や手続が明確でなかったため、従業員と使用者の間で紛争が頻発していた。
・平成16年改正
「4 契約、勤務規則その他の定めにおいて前項の対価について定める場合には、対価を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況、策定された当該基準の開示の状況、対価の額の算定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況等を考慮して、その定めたところにより対価を支払うことが不合理と認められるものであってはならない。
5 前項の対価についての定めがない場合又はその定めたところにより対価を支払うことが同項の規定により不合理と認められる場合には、第三項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならない。」
就業規則等において対価の支払方法を定める場合、手続的観点から不合理と認められないのであれば、その内容は合理的であると判断され、従業者はその対価額を受け入れなければならないとされた。
・平成27年改正
「2 従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除き、あらかじめ、使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、又は使用者等のため仮専用実施権若しくは専用実施権を設定することを定めた契約、勤務規則その他の定めの条項は、無効とする。
3 従業者等がした職務発明については、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利は、その発生した時から当該使用者等に帰属する。」
あらかじめ就業規則等に定めることにより、使用者の原始取得が認められた。
「相当の対価」から「相当の利益」に変更され、経済的な利益であればよく、金銭に限られないものとされた。
本件では、本件職務発明規程の発効前に本件発明がされたため、判決は、本件発明は「本件職務発明規程に記載された発明に該当しない発明」であったとしている。そして、「本件職務発明規程に記載された発明に該当しない発明にも同規程が適用される旨の定め」(既存の発明にも本件職務発明規程を遡及適用する旨の定め)も本件職務発明規程に存在しなかった。
このような場合、使用者と従業者の間に、「職務発明規程を適用する旨の明示又は黙示の合意が成立したか否か」がポイントとなるが、本件では、「原告と被告との間で、上記のような発明に本件職務発明規程を適用する旨の合意が成立したと認めるに足りる証拠もない。」と判示された。
その上、原告は、過去に5回、本件職務発明規程に基づく実績報奨金を受領していたのだが、判決は「原告は同規程に基づく報奨金の額に従前より疑問を呈し、上市後5年目以降の報奨金の受領を拒否していたのであるから、上記受領の事実をもって、被告主張の合意が成立していたと認めることはできない。」と判示した。この点は、報奨金の受領事実のみでは規程適用の黙示の合意を基礎付けるには足りないことを明確にしたものとして、実務上重要である。
発明後に職務発明規定が発効した場合には、遡及適用規定がなく、黙示の合意も認められず、異議の経緯がある本件のような事情の下では、(報奨金受け取り後であっても)金額を巡る紛争が生じる恐れがあることが示された。紛争リスクを低減するため、既存の発明に関しても職務発明規定を適用することについて同意があったことを明確に記録し、残しておくことが重要と考えられる。逆に、発明者側は、報奨金を一部受け取ってしまったとしても、「職務発明規程に基づく報奨金の額に従前より疑問を呈していたこと」を、実務上は記録化しておくことが望ましい。
また、本判決は、医薬品分野における「独占の利益」の有無についても重要な判断を示している。
被告は、再審査制度や各国のExclusivity制度により市場独占が認められるため、特許による独占の利益はないと主張した。これに対し裁判所は、これらの制度は第三者の参入を一定期間制約するにとどまり、最終的に参入を排除し得る根拠は特許権の排他的効力であるとして、特許による独占の利益を肯定した。
また、ライセンス収入についても、特許ライセンスが契約内容に含まれている以上、その対価に独占の利益が含まれると判断した。
本件のように使用者貢献度が極めて高く認定された(99%)場合であっても、なお一定額の対価が認められた点は、実務上の対価算定に重要な示唆を与える。
