【副引例には相違点そのものの開示はないものの主引例の技術思想に照らせば相違点に係る構成を得ることが容易想到であると判断された事例】
投稿日:2026年5月13日 |
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著者:弁理士 野本 裕史
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参照条文/キーワード/論点 |
特許法第29条第2項/進歩性/相違点の判断 |
ポイント
※副引例(乙10)には、本件発明と主引例(乙9)との間の相違点そのものは開示されていないため、主引例(乙9)に副引例(乙10)を単純に足し合わせただけでは本件発明の構成にはならない案件である。 |
判決概要 |
| 裁判所 | 知的財産高等裁判所第4部 |
| 判決言渡日 | 令和6年12月9日 |
| 事件番号 | 令和5年(ネ)第10042号 |
| 事件名 | 損害賠償請求控訴事件 |
| 裁判長裁判官
裁判官 裁判官 |
宮坂 昌利
本吉 弘行 岩井 直幸 |
事案の概要
発明の名称を「原動機付車両」とする本件特許(特許第3196076号、存続期間満了消滅)の特許権者であった控訴人が、被控訴人に対し、本件特許権の存続期間中の侵害を理由に損害賠償等を請求した事案である。原審では、乙9発明を主引例、乙10発明を副引例とする進歩性欠如の無効理由(無効理由1-2)について特許無効の抗弁が成立すると判断され、控訴人の請求が棄却されたところ、控訴審でも、原審と同様、無効理由1-2について特許無効の抗弁が成立すると判断された。
(1)本件発明
【請求項1】
アクセルペダルの踏込み開放時にも変速機において走行レンジが選択されている場合は、原動機から駆動輪へ駆動力を伝達する原動機付車両であって、
前記原動機付車両停止時、前記原動機を停止可能な原動機停止装置と、
ブレーキペダルの踏込み開放後も引続きホイールシリンダにブレーキ液圧を作用可能なブレーキ液圧保持装置と、を備える原動機付車両において、
前記ブレーキ液圧保持装置の故障を検出する故障検出装置を備え、
前記故障検出装置によって前記ブレーキ液圧保持装置の故障を検出した時に前記原動機停止装置の作動を禁止する
ことを特徴とする原動機付車両
(2)本件明細書の記載
【0004】
【発明が解決しようとする課題】前記特開平9-202159号公報に開示されているブレーキ力制御装置が故障した場合、ブレーキペダルの踏込みを開放した時に駆動力が大きな状態に切り換わるまでブレーキ力を保持することができない。その結果、坂道発進の際、ブレーキペダルの踏込みを開放した時に、車両が後退する。
【0006】そこで、本発明の課題は、ブレーキ液圧保持装置が故障した場合に、駆動力を大きな状態に維持または駆動力を大きな状態に切り換え、坂道発進時における車両の後退を防止できる原動機付車両を提供することである。
(3)先行技術
・乙9(実開昭59-110346)の記載
自動変速機付き車両に適用される従前のエンジン自動停止始動装置 、例えば、特開昭50-148731号公報に記載されている装置では、シフトレバーがどのレンジにあってもアクセルペダルを踏込めば再始動するようになっている。そして、再始動時の自動変速機内の変速ギア位置は一速に選択されている。従って、シフトレバーがDレンジにある場合、再始動のためにアクセルペダルを僅かに踏込めば問題は生じないが、踏込み量が大きいと再始動と同時に急発進する惧れがある。
そこで、駐車ブレーキやフットブレーキが作動していることをエンジン自動停止や再始動の条件として含ませることも可能であるが、(1)車両が停止した後に駐車ブレーキを作動させないとエンジンが自動停止しない、(2)車両が停止した後もフットブレーキを踏み続けていないとエンジンが自動停止しない、(3)再始動の際、フットブレーキが踏込まれていなかったり、駐車ブレーキが作動していないとエンジンが再始動しない、等の問題があり、エンジン自動停止始動装置を有効に活用させることができず、かかる装置に基づいた燃費向上、排気エミッションの向上が実質的に得られない惧れがある。
本考案の目的は、このような問題点に鑑み、自動変速機付き車両に適用しても有効に活用できるようにしたエンジン自動停止始動装置を提供することにある。
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第4図は、そのエンジン自動停止始動処理の一手順を示す。第4図に示すプログラムが起動されると、ステップS21では、車速信号に基づいて車速が零か、厳密には車速が所定値以下か否かが判断され、ステップS22では、アイドルスイッチ15bからのアイドル信号に基づいてスロットルバルブ15が全閉しているか否かを判断し、ステップS23では、車速が零になった時点からある認定時間、例えば1.5秒が経過したか否かが判断され、ステップS24では、ブレーキペダル信号の有無によりブレーキペダルが踏込まれているか否かが判断される。・・・ 更にステップS25では、エンジンを自動停止させるための他の停止条件、例えば、ターンシグナルが出されていないこと、ヘッドランプが点灯していないこと、エアコンディショナが作動していないこと、水温が所定以上であること、等が、ターン信号、ライト信号、エアコン信号、水温信号等により判断される。 これらのステップS21~S25がすべて肯定判断されれば、エンジン自動停止条件が満足されたこととなるが、制動装置の作動状態を継続して保持するため、ステップS26では、I/O37eから制動保持装置26に制動保持信号を出力する。次いで、ステップS27に進む。 ステップS27では、I/O37eから、エンジン停止信号を構成する、燃料カット信号、点火カット信号を燃料リレー31、点火リレー35にそれぞれ出力し、これにより、イグナイタ7を減勢して点火プラグに高電圧が供給されないようにするとともに、インジェクタ3を減勢して燃料を噴射しないようにし、以て、エンジン1を停止させる。・・・ 以上説明したように、本考案によれば、エンジン自動停止時に制動装置の作動状態を保持するようにするとともに、エンジン再始動後に、作動状態にある制動装置による制動を解除するようにしたので、駐車ブレーキの作動を、エンジン自動停止や再始動の条件とする必要がなく、エンジン自動停止始動装置を有効に活用することができる。 |
[第4図] |
・本件発明と乙9発明の相違点
本件発明は「前記ブレーキ液圧保持装置の故障を検出する故障検出装置を備え、前記故障検出装置によって前記ブレーキ液圧保持装置の故障を検出した時に前記原動機停止装置の作動を禁止する」ものであるのに対して、乙9発明はそのような構成を備えていない点
・乙10(特開平8-198072)の記載
まず、上述の坂道発進補助装置50について説明すると、この坂道発進補助装置50は、図2に示すブレーキペダル(サービスブレーキ操作部材)4を踏んで車両1を停止させた場合に作動するものであって、運転者がブレーキペダル4を踏んで車両1が停止したことが所定時間以上検出されると、ブレーキ液圧供給系(ブレーキ作動用非圧縮流体供給系)6に設けられた切り換え弁(マグネットバルブ)7を切り換えて、ブレーキ液圧供給系6内のブレーキオイルを封じ込めて、運転者がブレーキペダル4から足を離しても制動力を保持するようになっている(【0017】)。
また、上述の6.、7.の場合以外にも、、坂道発進補助装置50に異常が発生したことが検出されると、上記と同様に警報ランプ20及び警報ブザー21を作動させて、運転者に注意を促すようになっている。このように、車両1に坂道発進補助装置50をそなえることにより、発進と停車とを頻繁に繰り返すような場合に、運転者の疲労を大きく低減することができ、また、安全且つ確実に坂道発進を行なうことができるようになる(【0048】)。
原審の判断
他方、乙10の段落【0017】によれば、原動機付車両における坂道発進補助装置50は、ブレーキ液圧が作用してブレーキがかかった状態を保持する装置であることが開示されている。そして、乙10の段落【0048】によれば、坂道発進補助装置50に異常が検出された場合には、警報ランプ20及び警報ブザー21を作動させて、運転者に注意を促すものと認められる。
上記認定事実によれば、乙9発明と乙10発明は、共に安全性の観点から、原動機付車両における車両停止時にブレーキがかかった状態を保持するという技術思想が共通するものといえる。そして、乙9発明は、安全性の観点から、エンジン自動停止始動装置と制動保持装置の各作動の一体不可分性を必須の特徴とするものであるところ、乙9(11頁2~18行)によれば、「ステツプS24では、ブレーキペダル信号の有無によりブレーキペダルが踏込まれているか否かが判断される。・・・運転者が車両を停止させる意思があると判断するためである。」、「更にステツプS25では、エンジンを自動停止させるための他の停止条件、例えばターンシグナルが出されていないこと、ヘツドランプが点灯していないこと、エアコンデイシヨナが作動していないこと、水温が所定以上であること、等が、ターン信号、ライト信号、エアコン信号、水温信号等により判断される。」、「これらのステツプS21~S25がすべて肯定判断されれば、エンジン自動停止条件が満足されたこととなる・・・」が記載されていることからすると、乙9発明は、エンジン自動停止始動装置を安全な状態で作動させる観点から、各種検出信号を用いていることが認められる。
そうすると、エンジン自動停止始動装置を安全な状態で作動させるために、各種検出信号の一つとして、乙9発明に対し、制動保持装置の異常を検出する乙10を適用する動機付けを認めるのが相当である。
したがって、エンジン自動停止始動装置と制動保持装置の各作動の一体不可分性を必須の特徴とする乙9発明の技術的思想に鑑みると、制動保持装置の異常を検出した場合には、安全性を欠くことは自明であるから、安全性の観点から各作動の一体不可分性を確保するために、エンジン自動停止始動装置を安全な状態で作動させるための判断用各種検出信号の一つとして制動保持装置異常検出信号を加えた場合において、制動保持装置の異常が検出されたときは、乙9発明にいうステップS21~S25が肯定判断されず、エンジン自動停止条件が満足されなくなる。
そのため、上記場合には、制動保持装置異常検出信号が、エンジン自動停止始動装置を作動させないことになり、もってその作動を禁止することになる。
したがって、乙9発明に乙10発明を適用してエンジン自動停止始動装置の作動を禁止することが、当業者の適宜なし得る設計事項の範疇であることは、上記一体不可分性に照らし、明らかである。
以上によれば、制動保持装置の異常を検出した場合には、エンジン自動停動装置の作動を禁止する構成(相違点1に係る構成)を容易に想到できるものと認めるのが相当である。
実質的にみても、本件発明は、原動機停止装置の実行を判断するための各種検出信号の一つとしてブレーキ液圧保持装置の故障検出信号を備えるものであり、乙9発明に乙10発明を適用した構成との間に、技術思想において異なるところはない。
控訴人の主張
✓ 原判決は、「安全性の観点から、エンジンがエンジン自動停止始動装置の作動により自動停止した場合には、、制動保持装置の作動によりブレーキ液圧が作用し、もってブレーキがかかった状態を保持するという、エンジン自動停止始動装置と制動保持装置の各作動の一体不可分性を必須の特徴とする技術的思想が開示されている」としたが、そのような記載は乙9には存在しない。乙9に記載されているのは、全てのエンジン自動停止条件が満足された場合には、まず、制動保持装置により制動装置の作動状態を保持させ、次にエンジンを停止させるというものであり、上記とは作動機序も異なっている。
✓ 乙9発明は、ステップS21~S25の全てのエンジン自動停止条件が満足されたと判断された後に、ステップS26で、制動装置の作動状態を保持させるための制動保持信号が制動保持装置に出力される。そのため、ステップS26で制動保持装置26に対し制動保持信号を出力する前の工程であるステップS25の「エンジンを自動停止させるための他の停止条件」として、制動保持装置26が故障しているか否かを検出する信号が用いられていないことは明らかである。乙9発明には、制動保持装置26が故障しているか否かを検出する装置を備えるという技術思想がそもそもない。
したがって、乙9発明に対し、坂道発進補助装置50(制動保持装置)の異常を検出する乙10発明を適用する動機付けは認められない。
✓ 乙10発明は、安全性の観点から、駐車ブレーキ安全装置の作動解除を行う場合は、運転手にこの解除動作を十分に認識させるようにすることを目的とするものであり、坂道発進補助装置50に異常が検出された場合には、警報ランプ20及び警報ブザー21を作動させて、運転手に注意を促す構成を採用している。
そのため、乙9発明に接した当業者は、安全性の観点から乙10発明を適用して改良を試みようとする場合、その手段は①エンジン自動停止始動装置の作動を禁止することに限られるわけではなく、②エンジン自動停止始動装置は作動させた上で、警報ランプ20及び警報ブザー21を作動させて、運転手に注意を促すという構成を想起するといえる。そして、乙10発明にはまさにその構成が明示的に開示されているのであるから、乙9発明に乙10発明を適用して想到する構成は、相違点1の構成(構成要件E)ではなく、警報ランプや警報ブザーの作動により運転手に注意を促すことにより安全性を確保するという構成である。
したがって、この点からも、相違点1について容易想到性を肯定した原判決は誤っている。
✓ 乙9発明は、エンジン自動停止装置が作動し、エンジン自動停止できる場面をできるだけ多くすることにより、「燃費向上、排気エミッションの向上」を実現することを目的としている。しかるに、乙9発明に乙10発明を適用して相違点1に係る構成を採用する場合、坂道発進補助装置50の異常検出時にエンジン自動停止装置の作動を禁止する構成を採用すると、エンジン自動停止装置が作動する場面が減少するから、乙9の目的に反することになってしまう。
したがって、乙9発明への乙10発明の適用により相違点1に係る構成を採用することには阻害事由がある。
判旨
ア 乙9発明と乙10発明は、ともに制動保持装置(乙10においては坂道発進補助装置)を備え、それらはブレーキがかかった状態を保持する機能を有するものであることに照らすと、乙9発明及び乙10発明は、そのような機能を用いる車両である点で共通する技術分野に属するといえる。また、乙10発明と同様に、乙9発明においても、制動保持装置の故障発生が想定され、それに対処する課題が存在することは当業者には明らかである。
そうすると、乙9発明に触れた当業者は、上記の制動保持装置の故障発生という課題を認識し、その課題を解決する点において、乙10発明を乙9発明に適用する動機があるということができる。
イ これに対し、控訴人は、乙9発明は、制動保持装置26が故障しているか否かを検出する技術思想を有しておらず、故障を検知する乙10発明を適用する動機付けに欠ける旨主張する。
しかし、上記2(1)エのとおり、乙9発明は、エンジンおよび車両各部の状態を検出するセンサ群を備えるものであり、車速零信号が出力されているときに制動保持信号を出力し、エンジン始動後に制動解除信号を出力する制動保持解除信号発生手段と、制動保持信号に応動して制動装置を作動状態に保持し、制動解除信号に応動して作動状態にある制動装置の作動を解除する制動保持手段とを具備している。そして、乙9発明において制動保持装置の異常が検知された場合には、上記の乙9発明において求められている状態、すなわち、制動保持装置の作動によりブレーキ液圧が作用し、もってブレーキがかかった状態を保持できなくなることは明らかである。そうすると、乙9発明に触れた当業者は、上記の制動保持装置の故障発生という課題を認識し、その課題を解決するため、乙10発明における制動保持装置の異常を検出する信号を付加する動機付けがあるといえる。
ウ 以上によれば、乙9発明に乙10発明の制動保持装置の故障を検知して運転手へ警報を発する技術を適用することは当業者が容易に想到し得るといえる。
そして、上記2(1)イ~エのとおり、乙9発明が、エンジン自動停止により発生する問題を、センサ群からの検出信号に基づいて制動保持装置を作動させることにより解消する技術思想を有することに照らせば、制動保持装置の故障を検知し、制動保持装置を作動させることができない故障が生じた場合には、その検知結果をエンジン自動停止条件の一つとして用い、相違点1に係る「前記故障検出装置によって前記ブレーキ液圧保持装置の故障を検出した時に前記原動機停止装置の作動を禁止する」構成とすることは、当業者が容易になし得た事項といえる。
よって、乙9発明に乙10発明を適用した際に、本件発明の相違点1に係る構成を得ることは、当業者が容易に想到し得たものといえる。
エ これに対し、控訴人は、乙9発明に接した当業者が安全性の観点から乙10発明を適用してその改良を試みようとする場合、その手段は①エンジン自動停止始動装置の作動を禁止することに限られるわけではなく、むしろ、②エンジン自動停止始動装置は作動させた上で、警報ランプ20及び警報ブザー21を作動させて、運転手に注意を促すという構成であると主張する。しかしながら、上記のとおり、乙9発明が、エンジン自動停止により発生する問題を制動保持装置の作動により解消する技術思想を有することに照らせば、制動保持装置の故障を検知し、制動保持装置を作動させることができない故障が生じた場合には、その検知結果をエンジン自動停止条件の一つとして用い、相違点1に係る「前記故障検出装置によって前記ブレーキ液圧保持装置の故障を検出した時に前記原動機停止装置の作動を禁止する」構成(構成要件E)とすることは、当業者が当然容易になし得る事項である。
また、控訴人は、乙10発明を適用することによって、乙9発明におけるエンジン自動停止装置が作動する場面が減少するから阻害事由があるとも主張するが、乙10発明を適用して制動保持装置の故障が検知され、エンジン自動停止装置が作動するのは、稀なことであることは明らかであり、この程度の減少を理由として阻害事由があるとは到底いえない。
オ なお、控訴人は、乙9には「エンジン自動停止始動装置と制動保持装置の各作動の一体不可分を必須の特徴とする技術的思想が開示されている」とした原判決の認定は誤りであると主張する。この点に関する限り、控訴人の主張には首肯できるものがあると考えるが、当裁判所は、乙9発明と乙10発明の組合せによる容易想到性を導く筋道において、原判決のいう「エンジン自動停止始動装置と制動保持装置の各作動の一体不可分」なる論理構成を採用していない。控訴人の上記主張は、当裁判所の判断を左右するものではない。
カ 以上により、乙9発明に乙10発明を適用して相違点1に至ることは、当業者が容易に想到できることである。
検討
✓ 副引例(乙10)には、本件発明と主引例(乙9)との間の相違点そのものは開示されていないため、主引例(乙9)に副引例(乙10)を単純に足し合わせただけでは本件発明の構成にはならないが、裁判所は、主引例(乙9)に副引例(乙10)を組み合わせる際に、主引例の技術思想(課題およびその解決手段)に照らせば、相違点に係る構成を得るような設計変更を、当業者が当然容易になし得ると判断した。
✓ 引用文献における課題の記載は、引用発明同士を組み合わせる動機づけが有ること(あるいは、組み合わせることを阻害する要因があること)の理由として用いることは一般的でよくあるが、組み合わせた場合に、所定の設計変更(相違点に係る構成を得るような設計変更)を当然なし得るという論理付けの理由として、引用発明における課題の記載を用いることはあまり見たことがないように思うので取り上げた。

[第4図]