【引用発明の再現実験が本件発明に導かれたものと判断され、発明の特許性が認められた事案】

 

投稿日:2026年8月26日

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著者:弁理士 大木 信人
*本記事は、筆者の個人的見解であり、当事務所を含め、筆者が所属する如何なる団体の見解も表示するものではありません。
*判決等に筆者が適宜下線や太字強調等を付している場合があります。


参照条文/キーワード/論点

特許法第29条第2項/進歩性/引用発明の再現実験

ポイント

※本件は、特許無効審判において当該特許を無効とした審決の取消しを求めた取消訴訟である。
※審決は、本件発明と引用発明との相違点について、審判において提出された再現実験の結果に基づいて、実質的な相違点とはいえないと判断し、本件発明は当業者が容易に発明できたものであると結論付けた。
※これに対し裁判所は、本件優先日当時の技術常識に照らすと、当該相違点を実質的な相違点ではないと評価することはできないと判断した。また、再現実験の結果についても、本件優先日時点において当業者が当該相違点を認識し得たことを裏付けるものとはいえないとした。そして、本件審決の判断には誤りがあるとして、審決を取り消した。

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所第4部
判決言渡日 平成30年3月12日
事件番号 平成29年(行ケ)第10041号(甲事件)
平成29年(行ケ)第10042号(乙事件)
事件名 審決取消請求事件
裁判長裁判官
裁判官
裁判官
髙部 眞規子
山門 優
片瀬 亮
 

判決へのリンク(裁判所HPへ)

事案の概要

(1)特許第5348431号について、平成25年12月12日、本件特許のうち請求項1ないし5に係る発明について特許無効審判が請求された(無効2013-800226号)。平成28年8月15日付けで訂正請求が行われ、特許庁は、平成28年12月27日、本件訂正を認めた上で、請求項1ないし3に係る発明についての特許を無効とする、請求項4及び5に係る発明についての審判請求は成り立たない旨の審決を行った。
 本件は、本件特許の請求項1ないし3に係る部分の審決取消しを求めた審決取消訴訟である。

(2)訂正後の本件発明
 訂正後の請求項1の発明(本件発明1)は以下のとおりである。
【請求項1】
質量%で,C:0.15~0.5%,Si:0.05~2.0%,Mn:0.5~3%,P:0.1%以下,S:0.05%以下,Al:0.1%以下,N:0.01%以下を含有し,残部がFeおよび不可避的不純物からなる成分組成を有する部材を構成する鋼板の表層に,Ni拡散領域が存在し,前記Ni拡散領域上に,順に,Zn-Ni合金の平衡状態図に存在するγ相に相当する金属間化合物層,およびZnO層を有し,かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであり,優れた塗装密着性と塗装後耐食性を有するとともに,腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制されることを特徴とする熱間プレス部材。

(3)審決のポイント
 本件発明は、下記の引用例1(特許第3582504号公報)に記載された発明(以下「引用発明」という。)に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものである。
 審決は、引用発明及び本件発明1との一致点・相違点を、以下のとおり認定した。

ア 引用発明
 mass%で,C:0.2%,Si:0.3%,Mn:1.3%,P:0.01%,S:0.002%,Al:0.05%,Ti:0.02%,N:0.004%を含有し,残部がFe及び不可避的不純物からなる成分組成を有する鋼板の表面に亜鉛-12%ニッケルめっきを50g/m²施しためっき鋼板を,大気炉で850℃,3分間加熱した後,熱間プレスを行った,酸化皮膜が形成され,塗膜密着性と塗装後耐食性を有する熱間プレス成形品。

イ 本件発明1と引用発明との一致点及び相違点
(ア) 一致点
「C:0.2%(判決注:「質量%で,C:0.2%」の誤記と認める。),Si:0.3%,Mn:1.3%,P:0.01%,S:0.002%,Al:0.05%,N:0.004%,Fe及び不可避的不純物を含有する成分組成を有する部材を構成する鋼板の表層にZnO層を有し,塗膜密着性(判決注:「塗装密着性」の誤記と認める。)と塗装後耐食性を有する熱間プレス部材。」である点。

(イ) 相違点
a 相違点(1)
 部材を構成する鋼板が,引用発明では「Ti:0.02%を含有」するのに対し,本件発明では,Tiを含有しない点。

b 相違点(2)
 本件発明では,「部材を構成する鋼板の表層に,Ni拡散領域が存在し,前記Ni拡散領域上に,順に,Zn-Ni合金の平衡状態図に存在するγ相に相当する金属間化合物層,およびZnO層を有し,かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVである」のに対し,引用発明では,それが明らかではない点。

c 相違点(3)
 本件発明では,「優れた塗装密着性と塗装後耐食性を有するとともに,腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制される」のに対し,引用発明では,「塗装密着性と塗装後耐食性を有する」ものの,「腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制される」ことについては明らかではない点。

ウ 各相違点について
a 相違点(1)について
 甲3号証(特開2006-110713号公報)より、TiはBの効果を発揮させ、また、強度向上のために添加されるものである。Bを含有しない引用発明において、Tiを含有しないようにすることは、所望する強度の程度に応じて適宜なし得る事項である。

b 相違点(2)について
 甲2号証「Zn-Ni合金電気めっきを施した鋼板の熱間プレス後の表面皮膜状態の調査結果」には、引用発明に係るZn-12%Ni合金電気めっき鋼板につき、その再現実験として、引用例の明細書の【0050】、【0064】に記載される鋼種Aの化学成分を狙い値として製造された鋼種に対し、引用例の【0050】、【0064】に記載される方法に準じて実験を行うとともに、本件特許の請求項1、4及び5に記載の鋼板表面の皮膜状態に関する項目の調査を行った調査報告書であり、また、同報告書には甲2鋼種Aに近い成分にCr、Bを加えて製造した鋼種Xについても同様の実験が行われている。
 そして、上記実験は、甲1号証に記載のないめっき前の焼鈍の有無、プレス前の加熱条件については、複数種の条件を設定し、また、同様に記載の無いめっき浴については、特公昭62-15635号公報に記載される範囲内のめっき浴を使用し、電流密度40A/dm2、50A/dm2にてめっきを行っている(「2.2. ZnNiメッキ鋼板の作成」、「2.3.熱間プレス試験」の欄)。
 また、上記実験では、引用例において行われる円筒絞りプレス成形に替えて、平板プレス及びハット絞り成形を行っているが、プレス方法が違っても、鋼板表面の皮膜状態を調べるために試料が採取される「部材頭部の平坦部」におけるプレス条件は同じであり、調査結果に影響しないものと認められる。
 そして、同報告書によれば、表9、表10に示されるとおり、甲2号証の再現実験に相当するもの(A1~A4,B1、B11及びB12)、及びそこから鋼板の鋼種、めっき中のNi含有量等の条件を変更した合計16の試料において、本件請求項1、4及び5に記載される発明特定事項を備えること(「Ni拡散領域の存在」すること、「前記Ni拡散領域上に、順にγ相に相当する金属間化合物層、およびZnO層を有し、かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであるを満たすこと」)が確認される。
 また、これらの結果から、下地鋼板の成分組成の若干の相違(甲2鋼種Aと鋼種X程度の相違)が、熱間プレス後の鋼板表面の構成に影響していないことがわかる。
 そうすると、この点は実質的な相違点とはいえない。

c 相違点(3)について
 本件特許明細書には、部材を構成する鋼板の表層にNi拡散領域を存在させると、腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制されること(【0017】)、こうした水素侵入の抑制を効果的に図るには、部材を構成する鋼板の深さ方向に1μm以上、好ましくは2μm以上、より好ましくは3μm以上にわたってNi拡散領域を存在させることが好ましいこと(【0018】)が記載されている。
 そして、上記甲第2号証の実験に供された試料は、いずれもNi拡散領域に相当するZnNi含有フェライト相の層厚は、3μm以上であることが、2つの測定方法(EPMA、GDA)により確認されている。
 したがって、甲1発明においても、「耐水素侵入性」を有しているものと認められるから、当該相違点が実質的な相違点とはいえない。
 また、被請求人が述べた甲第2号証に記載された追試実験は、甲第1号証に記載された発明の忠実な再現実験とはいえない旨の主張は採用することはできないとした。

争点

・本件発明1の進歩性に係る判断の誤り(取消事由1)
・本件発明2の進歩性に係る判断の誤り(取消事由2)
・本件発明3の進歩性に係る判断の誤り(取消事由3)
 以下、取消事由1の相違点(2)についてのみ説明する。

争点に関する当事者の主張

原告の主張
「(2)相違点(2)について
 本件審決は,甲2に記載された,合計16の試料の実験結果に基づいて,相違点(2)は実質的な相違点とはいえない旨判断する。
 しかし,上記試料のうち,引用発明の再現実験といえるのは6試料のみであり,他の10試料は,引用発明から鋼種,Ni含有量,加熱条件を変更したものであるから,引用発明の再現実験とは到底いえず,本件発明1に導かれて行われた,いわゆる後知恵実験に相当するものである。したがって,上記10試料に係る実験結果は,特許法29条1項1号の公然知られた発明でも,同項3号の刊行物記載発明でもなく,これらの実験結果に基づく本件審決の上記判断は,誤りである。
 なお,(被告)は,Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合,Ni拡散領域,γ相,ZnO層が,下から上にこの順番で形成され,そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有すること,このような表面構造の生成は,下地鋼板の添加元素の組成の若干の相違によって影響を受けるものではないであろうことは,当業者の技術常識に基づいて容易に予測されると主張するが,これを認めるに足りる証拠はなく,失当である。引用発明の鋼板に熱間プレスを施すことにより本件発明1に係る鋼板の表面構造が生成することは,下地鋼板として甲2の鋼種Aを用いた引用発明の再現実験を行い,本件明細書に記載されている各種評価を行うことにより初めて確認されたものである。

被告の主張
「ウ 鋼板の表層構造の予測可能性
 Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合,Ni拡散領域,γ相,ZnO層が,下から上にこの順番で形成され,そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有することは,当業者の技術常識に基づいて容易に予測される。すなわち,Zn-Niめっき層を表面に有した鋼板を加熱すれば,めっき層中のNiが鋼板へ拡散していき,めっき層の直下にNi拡散領域が形成されることは,物理現象として当然に生じるものである(甲1,乙2)。また,10重量%程度以上のNiを含むZn-Niめっき層は,γ相の金属間化合物から構成されるため(甲14~16),Ni拡散領域の上には,γ相に相当する金属間化合物層が初めから形成されている。さらに,Zn-Niめっき層の大半はZnであるため,熱間プレスの加熱を行えば,その表面にZnO層が形成されることも当然である(甲1)。そして,Zn-Niめっきを施さない下地鋼板は自然浸漬電位が-440mVであり,Zn-Ni合金めっきは,Ni含有量が10~17%程度の範囲で-700~-500mVであるところ(甲15,19,20),Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施すと,加熱により下地鋼板のFeがめっき中に拡散するため,めっき表面の皮膜の自然浸漬電位は,Zn-Ni合金めっきの値よりも若干下地鋼板の値に近づいた値となるものであり,-600~-360mVという値は,おのずとそのような値になる数値範囲である。・・・

(2)相違点(2)について
 引用例1には,引用発明において,相違点(2)に係る鋼板の表面構造が生成することは明記されていない。
 しかし,前記(1)ウのとおり,Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合,Ni拡散領域,γ相,ZnO層が,下から上にこの順番で形成され,そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有することは,当業者の技術常識に基づいて容易に予測されるものである。そして,以下のとおり,甲2による引用発明の再現実験により,この表面構造が生成することが確認されている。
 甲2は,引用発明に係る亜鉛-12%ニッケル合金電気めっき鋼板につき,その再現実験として,引用例1の【表1】及び【表5】に記載される鋼種Aの化学成分を狙い値として製造された鋼種(鋼種A)に対し,鋼板表面の皮膜状態の構造の調査を行った結果の報告書である。また,同報告書には,鋼種Aに近い成分にCr,Bを加えて製造した鋼種Xについての実験結果も記載されている。甲2によれば,引用例1の再現実験に相当するもの及びそこから鋼板の鋼種,めっき中のNi含有量等の条件を変更した合計16の試料において,鋼板表面の皮膜状態の構造について,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有し,かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが確認される。また,これらの結果から,下地鋼板の成分組成の若干の相違(鋼種Aと鋼種X程度の相違)が,熱間プレス後の鋼板表面の構造に影響していないことも分かる。
 したがって,相違点(2)は実質的な相違点とはいえない。」

   

判旨

「(3)相違点(2)について
ア 引用例1の記載
 引用例1には,①引用発明の課題は,難プレス成形材料について熱間プレスを行っても所定の耐食性を確保でき,外観劣化が生じない熱間プレス用の鋼材を提供することであり,具体的課題は,耐食性確保のための後処理を必要とせずに,難プレス成形材料である高張力鋼板の熱間プレス成形を可能とし,同時に耐食性をも確保できる技術を提供することであること(【0005】【0006】【0014】【0015】),②鋼板の犠牲防食作用のある亜鉛系めっき鋼板に熱間プレスを適用することにより,めっき層表面に亜鉛の酸化皮膜が,下層の亜鉛の蒸発を防止する一種のバリア層として全面的に形成されること,また,めっき層は,かなり合金化が進んでおり,それにより,めっき層が高融点化してめっき層表面からの亜鉛の蒸発を防止しており,かつ鋼板の鉄酸化物形成を抑制していること,このようにして加熱されためっき層は,熱間プレス成形後においてめっき層と母材である鋼板との密着性が良好であること(【0016】~【0019】),③実施例として,亜鉛-12%ニッケル合金めっきが具体的に記載されており,プレス成形性のすぐれた材料が得られ,成形品としてすぐれた塗膜密着性及び耐食性を示したこと(【0064】~【0067】)が記載されている。
 一方,引用例1には,引用発明が相違点(2)に係る構成,すなわち,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを示す記載はなく,このことを示唆する記載もない。

イ 技術常識
 本件特許の優先日時点におけるZn-Niめっき鋼板の熱間プレス部材の表面構造に関する技術常識については,以下のとおりであると認められる。

(ア) Ni拡散領域
 引用例1には,『本発明において,バリア層を備えた亜鉛系めっき層を設けるには,例えば通常の溶融亜鉛めっき処理を行ったのち,酸化性雰囲気中での加熱,つまり通常の合金化処理を行えばよい。このような合金化処理はガス炉等で再加熱することにより行われるが,そのときめっき層表面の酸化ばかりでなく,めっき層と母材の鋼板との間で金属拡散が行われる。』との記載があり(【0035】),乙2(特開2004-124207号公報)には,『…表面処理鋼板を加熱,成形して部品とした後に具えるべき要件について述べる。加熱後,めっき層成分と鋼板成分との相互拡散が起こり,鋼板表面層の組成が変化する』との記載がある(【0018】)。
 しかし,これらに記載されているのは,亜鉛系めっき鋼板を加熱した場合にめっき層と母材の鋼板との間で金属拡散が行われることや,表面処理鋼板を加熱すると,めっき層成分と鋼板成分との相互拡散が起こることに関する記載のみであり,亜鉛-ニッケルめっき鋼板を加熱後の熱間プレス部材の表面構造に関する記載はない。

(イ) Ni拡散領域上のγ相である金属間化合物層
 甲14(渋谷敦義ほか『高電流密度下でのNi-Zn合金の電析』金属表面技術33巻10号106頁,1982年発行)には,『ニッケル含有量10~16%でγ相単相よりなるZn-Ni合金めっき皮膜が最も耐食性が良く,鋼板を十分に防食する…』,甲15(倉重輝明ほか『亜鉛-ニッケル合金めっき鋼板の開発』金属表面技術37巻2号56頁,1986年発行)には,『ニッケル含有量が10wt%を超えるとγ相単相析出になり…』,甲16(小手川純一ほか『Zn-Ni合金電気めっきに及ぼす浴中鉄イオンの影響』鉄と鋼,1985年発行)には,『Zn-Ni合金電気めっき鋼板はめっき皮膜中Ni含有率10~16wt%のγ相のとき,最も耐食性に優れていることが知られている。』との記載がある。これらの記載から,10重量%程度以上のNiを含むZn-Niめっき層は,γ相の金属間化合物から構成されることが認められる。
 一方,甲14ないし16には,加熱をしていないZn-Niめっきの皮膜構造に関する記載があるだけであり,加熱後の熱間プレス部材の表面構造に関する記載はない。

(ウ) ZnO層
 Zn-Niめっき層の大半はZnであるため,熱間プレスの加熱を行えば,その表面にZnO層が形成されることが技術常識であることについては,当事者間に争いがない。他方,このZnO層の下の構造,すなわち,Zn-Niめっき鋼板を加熱後の熱間プレス部材の皮膜状態の構造については,前記(ア)及び(イ)のとおり,本件優先日以前に頒布された刊行物には記載されていない。

(エ) 自然浸漬電位
 甲19(松田好晴ほか『電気化学概論』第1版16刷,平成21年2月発行)には,Feの標準電極電位が-440mVであること,甲15には,γ相単相よりなる亜鉛-ニッケル合金(Ni含有量10~16wt%)の5%NaCl中での腐食電位(V,vs.SCE)が,測定開始時において-0.94V程度であること,甲20(特開昭60-56088号公報)には,Zn-Ni合金の食塩水の浸漬電位が,Ni含有率11%,13%,15%,17%でそれぞれ-920mV,-825mV,-780mV,-760mVであることが記載されている(なお,(被告)は,標準電極電位は自然浸漬電位とほぼ同じ値となるものであり,上記腐食電位及び浸潤電位を自然浸漬電位に換算すると,順に,-679mV,-584mV,-539mV,-519mVとなる旨主張する。)。
 一方,甲15,19及び20に記載されているのは,鉄や亜鉛-ニッケル合金の電位に関する記載であり,Zn-Niめっき鋼板の熱間プレス部材の表面構造における自然浸漬電位に関する記載はない。

(オ) 以上のとおり,本件優先日以前に頒布された刊行物である前記(ア),(イ)及び(エ)記載の文献には,Zn-Niめっき鋼板の熱間プレス部材の表面構造に関する記載はない。したがって,これらの記載から,熱間プレス部材である引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが技術常識であったと認めることはできない。また,本件特許の優先日時点の当業者において,技術常識に基づき,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを認識することができたものとも認められない。

ウ よって,相違点(2)は実質的な相違点ではないとはいえないし,相違点(2)につき,引用発明及び技術常識に基づいて当業者が容易に想到できたものということもできない。

エ(被告)の主張について
 (被告)は,Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合,Ni拡散領域,γ相,ZnO層が,下から上にこの順番で形成され,そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有することは,当業者の技術常識に基づいて容易に予測されるものであり,甲2による引用発明の再現実験により,確かにこの表面構造が生成することが確認されている旨主張する。
 しかし,前記アにおいて認定したことに照らすと,当業者が,本件特許の優先日時点において,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを引用発明が本来有する特性として把握していたと認めることはできない。
 また,甲2は,引用発明に係る亜鉛-12%ニッケル合金電気めっき鋼板につき,引用例1の【表1】及び【表5】に記載される鋼種Aの化学成分を狙い値として製造された鋼種(鋼種A)に対し,鋼板表面の皮膜状態の構造の調査を行った(被告)従業員作成の実験結果の報告書であるところ,甲2(表9,10)には,16個のうち6個の試料(A1~A4,B1,B11)について,その鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが確認されたことが記載されている。
 しかし,甲2の記載は,あくまで,(被告)が本件各発明を認識した上で本件特許の優先日後に行った実験の結果を示すものであり,本件特許の優先日時点において,当業者が,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が上記のとおりであることを認識できたことを裏付けるものとはいえない。

解説/検討

 再現実験に基づく引用発明の認定に関し、知財高判(第1部)平成26年9月25日(平成25年(行ケ)第10324号)では以下のように判示されている。
 「・・・本件発明を特定する構成の相当部分が甲1公報に記載され,その発明を特定する一部の構成(結晶構造等の属性)が明示的には記載されておらず,また,当業者の技術常識を参酌しても,その特定の構成(結晶構造等の属性)まで明らかではない場合においても,当業者が甲1公報記載の実施例を再現実験して当該物質を作製すれば,その特定の構成(結晶構造等の属性)を確認し得るときには,当該物質のその特定の構成については,当業者は,いつでもこの刊行物記載の実施例と,その再現実験により容易にこれを知り得るのであるから,このような場合は,刊行物の記載と,当該実施例の再現実験により確認される当該属性も含めて,同号の『刊行物に記載された発明』と評価し得るものと解される(以下,これを『広義の刊行物記載発明』という。)。
 これに対し,刊行物記載の実施例の再現実験ではない場合,例えば,刊行物記載の実施例を参考として,その組成配合割合を変えるなど,一部異なる条件で実験をしたときに,初めて本件発明の特定の構成を確認し得るような場合は,本件発明に導かれて当該実験をしたと解さざるを得ず,このような場合については,この刊行物記載の実施例と,上記実験により,その発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいうことはできず,同号の『刊行物に記載された発明』に該当するものと解することはできない。」
 本件で提出された甲2の再現実験は、引用文献の実施例に記載された熱間プレス部材を作製した上で、本件発明に記載の表面皮膜状態に関する項目を調査したものである。しかしながら、当該表面皮膜状態は、本件特許の優先日時点において当業者が認識し得た事項とは認められないと判断された。そのため、「表面皮膜状態に関する項目の調査」は、引用文献の単なる再現ではなく、本件発明の知見に導かれて行われた実験であると評価された。
 本判決によれば、仮に引用発明が本件発明と共通する内在特性を有していたとしても、その内在特性が出願当時に認識されていない場合には、その内在特性を検出又は測定する再現実験は、引用発明の単なる再現にとどまらないものと評価され得る。

 

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