【マーカッシュ形式で多数の置換基を規定した化合物発明について、マーカッシュの選択肢を削除する訂正の要件充足性や、実施可能要件及びサポート要件充足のための実施例の要否等が争われた事案】

 

投稿日:2026年8月30日

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著者:弁理士 梅田 慎介
*本記事は、筆者の個人的見解であり、当事務所を含め、筆者が所属する如何なる団体の見解も表示するものではありません。
*判決等に筆者が適宜下線や太字強調等を付している場合があります。


参照条文/キーワード/論点

特許法第126条第1項及び第5項/第36条第4項第1号/同第6項第1号/化合物発明/マーカッシュ形式/選択肢削除/訂正要件/実施可能要件/サポート要件/実施例

ポイント

※除草剤に用いられる2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物をマーカッシュ形式により置換基を多数規定することよって特定した化合物発明について、マーカッシュの選択肢を削除する訂正の要件充足性、実施可能要件及びサポート要件充足のための実施例の要否等が争われた。
※原告は、補正により選択肢を削除して特定の選択肢の組合せを請求項に残すことにより新たな技術的事項を導入することとなる場合があり得ること、明細書には1つの置換基を特定のいくつかの選択肢に限定する根拠となる記載や他の置換基との関係で2以上の置換基を特定のいくつかの組み合わせに限定する根拠となる記載がないことから、本件訂正は新規な技術的事項を追加するものであるとの主張を行った。また、除草活性について具体的な試験結果が記載されておらず、実施可能要件及びサポート要件を満たさないこと等を理由に実施可能要件及びサポート要件違反を主張した。
※裁判所は、2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物が除草作用を有し、除草剤の有効成分として有用であることが従来から知られていたと認定した上で、(1)訂正後の化合物群が訂正前の基本骨格を共通して有するものであり、(2)訂正後の化学物質群が訂正前の化学物質群に比して顕著な作用効果を奏するとも認め難いことから、本件訂正は明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において新たな技術的事項を導入するものではないと判断した。また、用途発明とは異なり、化合物発明では発明の効果に関する実験デ-タは必須とならないとした。

 

判決概要

裁判所 知的財産高等裁判所第4部
判決言渡日 平成30年1月22日
事件番号 平成29年(行ケ)第10007号
事件名 審決取消請求事件
裁判長裁判官
裁判官
裁判官
高部 眞規子
古河 謙一
関根 澄子
 

判決へのリンク(裁判所HPへ)

事案の概要

1. 経緯
 被告(BASF)は,発明の名称を「2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン」とする発明について設定登録(特許第4592183号)を受けた。
 原告(バイエルクロップサイエンス)は,無効審判(無効2015-800065号)を請求した。被告は,訂正を請求した。特許庁は,本件訂正を認めた上,維持審決をした。
 原告は,本件審決の取消しを求める本件訴訟を提起した。

2. 本件発明
 訂正発明1は以下のとおりであり、訂正前に比べてR1、R2、X1、Hetの選択肢が多数削除された。訂正の趣旨は、審決の予告において実施可能要件に係る記載不備が指摘されたことに対して,明細書に明示的に記載されていた置換基X1及びHetの選択肢を,CAS REGISTRY物質レコードに示されていることから入手できることが確認された原料物質より合成される化学物質に限定するものである。

【訂正後請求項1】
式Ⅰa画像
[但し,R1が,ハロゲンを表し,
2が,-S(O)nR3を表し,
3が水素,C1~C6アルキルを表し,
nが1又は2を表し,
Qが2位に結合する式Ⅱ画像
 [但し,R6,R7,R8,R9,R10及びR11が,それぞれ水素又はC1~C4アルキルを表し,上記CR89単位が,C=Oで置き換わっていても良い]で表されるシクロヘキサン-1,3-ジオン環を表し,
 X1が酸素により中断されたエチレン鎖または-CH2O-を表し,
 Hetが,オキシラニル,2-オキセタニル,3-オキセタニル,2-テトラヒドロフラニル,3-テトラヒドロフラニル,2-テトラヒドロチエニル,2-ピロリジニル,2-テトラヒドロピラニル,2-ピロリル,5-イソオキサゾリル,2-オキサゾリル,5-オキサゾリル,2-チアゾリル,2-ピリジニル,1-メチル-5-ピラゾリル,1-ピラゾリル,3,5-ジメチル-1-ピラゾリル,または4-クロロ-1-ピラゾリルを表す
で表される2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩。

 

争点

3. 争点
(i) 本件訂正の可否(取消事由1)
(ii) 実施可能要件に係る判断の誤り(取消事由2)
(iii) サポ-ト要件に係る判断の誤り(取消事由3)
(iv) 本件訂正発明の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由4)(略)
(v) 原文新規事項追加に係る判断の誤り(取消事由5)(略)

   

争点に関する当事者の主張

4. 原告の主な主張
(i) 本件訂正の可否(取消事由1)

 マーカッシュ・クレ-ムの補正に関する審査基準によれば,補正により選択肢を削除して特定の選択肢の組合せを請求項に残すことによって,新たな技術的事項を導入することとなる場合があるから,補正後の選択肢が当初明細書等の記載の範囲にあるからといって当該補正が許容されるわけではない。訂正についても同様である。

 請求項1に係る本件訂正は,Hetにつき「18個の選択肢」に限定するものであるが,本件明細書の【0061】,表A及び表37によっては,Hetに関する「18個の選択肢」は把握できないし,1が「酸素により中断されたエチレン鎖または-CH2O-」を表す場合に,Hetが「18個の選択肢」であると把握することはできない。

 本件訂正は,本件明細書の方法Cにより生産できないものを含んでいた本件発明の広範なX1とHetの組合せの中から,上記方法Cにより適宜生産できると被告が主張し得る範囲のX1とHetの特定の組合せを任意に残したものである。そして,本件訂正後のX1とHetの組合せであれば方法Cにより生産できることが本件明細書に開示ないし示唆されているとはいえないから,この点からも,本件訂正後のX1とHetの特定の組合せを任意に選択することは,新規な技術的事項を追加するものである。

(ii) 実施可能要件に係る判断の誤り(取消事由2)
 化学物質発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識するところである。化学物質の発明の有用性を知るには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを要する。
 仮に,当業者が「常法に従い除草特性を確認」したとしても,本件明細書にはいかなる実験結果も記載されていないのであるから,当該化学物質を使用するためには,当業者に通常期待し得る程度を超える試行錯誤が要求されるというべきである。

(iii) サポ-ト要件に係る判断の誤り(取消事由3)
 本件訂正明細書には,除草剤の有効成分の「候補化合物となる化合物」を提供することが課題であるとの記載はない。本件訂正発明の課題は,実際に除草作用を有することにより除草剤の有効成分となる化合物を提供することにあるというべきである。

 本件訂正明細書には,本件訂正発明に係る化学物質が除草活性を有することを裏付ける具体的な記載(試験デ-タ)は何もない。


判旨

5. 裁判所の判断
(i) 本件訂正の可否(取消事由1)

 訂正後の化学物質群は,訂正前の基本骨格(シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造。本件共通構造)を共通して有するものである。加えて,訂正後の化学物質群について,訂正前の化学物質群に比して顕著な作用効果を奏するとも認め難い。そうすると,選択肢を削除することによって,本件明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものではない。

 原告がその主張の根拠とする審査基準においても,訂正の結果,残った発明特定事項で特定されるものが新たな技術的事項を導入するものであるか否かで判断すべきものとされているところ,本件訂正においては,前記(1)のとおり,新たな技術的事項は導入されていない。

(ii) 実施可能要件に係る判断の誤り(取消事由2)
 本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物は,除草作用を有し,除草剤の有効成分として有用であることが従来から知られていたことからすれば,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物であれば,同様の効果を奏するものと推認できるから,本件訂正発明については,改めて試験を行うまでもなく,有用性が認められるというべきである。また,本件訂正発明は,除草剤の有効成分の化学物質に係る発明であるから,いわゆる用途発明には当たらないし,用途発明に準じて実施例が必要であるということもできない

(iii) サポ-ト要件に係る判断の誤り(取消事由3)
 当業者は,本件訂正発明の化学物質の化学構造と従来技術の除草化学物質との共通性から,本件訂正発明に係る化学物質が,従来技術の除草剤の有効成分と同様に課題を解決できることを推認することができる。

 サポ-ト要件を満足するために,発明の詳細な説明において発明の効果に関する実験デ-タの記載が必ず要求されるものではない。特に本件訂正発明は,新規な化学物質に関する発明であるから,医薬や農薬といった物の用途発明のように具体的な実験デ-タ,例えば,具体的な除草活性の開示まで求めることは相当でない

解説/検討

6. 検討
 特許・実用新案審査基準、第Ⅳ部、第2章、「新規事項を追加する補正」には「マ-カッシュ形式等の択一形式で記載された請求項において,一部の選択肢を削除する補正は,残った発明特定事項で特定されるものが新たな技術的事項を導入するものではない場合には許される。」とされている。
 本件では、化学物質に係る発明におけるマーカッシュ形式の選択肢削除は、(1)特許請求の範囲を減縮するものであること、(2)訂正後の化学物質群が訂正前の基本骨格を共通して有するものであること、(3)訂正後の化学物質群が訂正前の化学物質群に比して顕著な作用効果を奏するとも認め難いことをもって訂正要件充足とした。
 また、化学物質に係る発明の実施可能要件及びサポ-ト要件は、明細書の記載と出願時の技術常識に基づいて当業者が通常期待し得る程度を超える試行錯誤を求めることなく当該化学物質を製造することができ且つ課題を解決できる(使用することができる)ことを理解することができるのであれば、要件充足のために実験デ-タは必ずしも必要ないことが確認された。発明の効果に関する実験デ-タの記載が原則必要とされる用途発明に対し、化合物発明での実施例の必要を明確に区別し、化学物質に係る発明の課題は新規かつ有用な化学物質を提供することにあるから、サポート要件を満たすためには当該化学物質が課題を解決できることを推認することができれば足り、実験デ-タの開示までは求められないとした。

 

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