【本件明細書の記載を離れ、事後的に実施した官能評価試験の結果に基づく有利な効果の主張が認められず進歩性が否定された事例】
投稿日:2026年8月25日 |
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著者:弁理士 大木 信人
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参照条文/キーワード/論点 |
特許法第29条第2項/進歩性/顕著な効果 |
ポイント
※本件は、特許無効審判において当該特許を無効とした審決の取消しを求めた審決取消訴訟である。原告は、審決における顕著な効果の判断には誤りがあると主張し、審決で検討された効果とは異なる効果を根拠として、本件発明の進歩性を主張した。これに対し裁判所は、原告が主張する効果は本件明細書に記載されていないとして当該効果を認めず、審決の判断に誤りはないとして、原告の請求を棄却した。
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判決概要 |
| 裁判所 | 知的財産高等裁判所第3部 |
| 判決言渡日 | 平成29年9月11日 |
| 事件番号 | 平成28年(行ケ)第10056号 |
| 事件名 | 審決取消請求事件 |
| 裁判長裁判官
裁判官 裁判官 |
鶴岡 稔彦
大西 勝滋 杉浦 正樹 |
事案の概要
特許第5252873号について、平成26年9月30日付けで無効審判が請求された(無効2014-800165号)。平成27年9月18日付けで訂正請求が行われ、特許庁は、平成28年1月19日、本件訂正を認めた上で、特許第5252873号の請求項1~4に係る発明についての特許を無効とするとの審決(進歩性欠如)を行った。
本件は、この審決に対する審決取消訴訟である。
訂正後の請求項1の発明(本件発明1)は以下のとおりである。
【請求項1】
重合度が3のトリグリセリン脂肪酸エステルを0.0001~0.5重量%含有し、コーヒー飲料中の、マンナン分解酵素で多糖類低分子化処理されたコーヒー抽出物に由来する多糖類が次の(A)及び(B)の条件の少なくとも1つを満足することを特徴とする乳成分を含有するコーヒー飲料。
(A)ゲル浸透クロマトグラフィーで測定した分子量1000~4000に多糖類の分子量ピーク頂を有する。
(B)ゲル浸透クロマトグラフィーで測定した多糖類の重量平均分子量が1000~6000である。
争点
(1)甲1ないし3記載の発明のいずれかに基づく容易想到性判断(顕著な効果に係る判断)の誤り(取消事由1)
(2)甲4ないし9(本件発明2及び4については,甲4又は9)記載の発明のいずれかに基づく容易想到性判断(顕著な効果に係る判断)の誤り(取消事由2)
以下、取消事由2についてのみ説明する。
争点に関する当事者の主張
(原告の主張)
原告は、当業者は先行技術に基づいて、本件発明1の「コーヒー特有の苦味・酸味・渋み」が弱いとの効果を予測することはできないから、先行文献より容易想到とする本件審決の判断は誤りであると主張した。
「(1)本件審決は・・・本件発明1に相当するもの(本件明細書の実施例1及び2(マンナン分解酵素処理有り)と甲4発明に相当するもの(本件明細書の比較例1(マンナン分解酵素処理無し)とでは,静菌効果において差異はなく,両者の沈殿抑制効果における差異は,甲1ないし3の記載から当業者が予想できるものであるから,本件発明1は,甲4発明等と比較して当業者が予想できる程度を超える顕著な効果を奏すると認めることはできない旨判断する。
しかし,本件審決は,静菌効果及び沈殿抑制効果における本件発明1と甲4発明等との差異は検討するものの,飲料風味についての効果の差異を検討していない。」
「本件発明1の効果は,『コーヒー特有の苦味・酸味・渋み』が弱い風味を有することであり,この効果は本件明細書の実施例に明確に記載されている(段落【0057】)。そして,コーヒーは,特有の風味を有する飲料として極めて一般的に知られた飲料であり,コーヒーを飲んだことがある人であれば,『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』を認識できることは明らかである。したがって,当業者であれば,上記実施例に記載された官能評価(段落【0048】)を実施して,『コーヒー特有の苦味・酸味・渋み』が弱いという結果が得られたとの記載から,本件発明1のコーヒー飲料の『コーヒー特有の苦味・酸味・渋み』が弱いことを明確に把握できるのであり,当業者にとって,本件明細書における実施例の評価方法及びその結果は明確である。」
明細書に記載されるコーヒー飲料は以下のとおりである。

明細書には官能評価について、以下のとおり記載される。
【0056】
<官能評価の結果>
【0057】
(a)実施例1~3に関しては、「後味がよく、ごくごく飲める」、「コーヒーが苦手な人には飲み易い」、「すっきリしていて飲み易い」等の好意的な意見多く(約70%)得られた。ただし、「コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い」との意見は多かった(約80%)。
【0058】
(b)参考例1と2に関しては、「コーヒー特有の苦味・酸味・渋みがある」との意見が多数(約80%)であった。
【0059】
(c)比較例1に関しては、沈殿量が多かった。参考例3は分離したため実施しなかった。
(段落[0056]-[0059])
さらに、原告はさらなる官能評価試験を行い、その結果に基づいて本件明細書に記載された本件発明1のコーヒー飲料において,「コーヒー特有の苦味・酸味・渋み」が弱いことが事実であることを主張した。
「甲56試験においては,TPを含有する本件発明1のミルクコーヒー(試料Y)について,SEを含有するミルクコーヒー(試料L)及び乳化剤無添加のミルクコーヒー(試料Q)のいずれと飲み比べても,『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』が弱いという結果が得られている。」;
甲59試験の結果によれば「①本件発明1に相当するTP及びマンナン分解酵素処理されたコーヒー抽出物を含有するミルクコーヒー(TP・あり),②乳化剤を含有せず,マンナン分解酵素処理されたコーヒー抽出物を含有するミルクコーヒー(無・あり)及び③TP及びマンナン分解酵素処理されていないコーヒー抽出物を含有するミルクコーヒー(TP・なし)を比較したところ,①が②及び③のいずれよりも『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』が弱いことが示された。・・・被告は,甲59試験の結果について,①ないし③の間のいずれの組合せにおいても,15人中12人以上が『弱い』と回答した例はなく,有意差が認められない旨主張するが,『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』という傾向が示されれば,本件発明1が『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』という効果を有することは認定できる。」;
甲68試験の結果によれば「①TPを含有し,マンナン分解酵素処理を行ったミルクコーヒーと,②TPを含有し,マンナン分解酵素処理を行っていないミルクコーヒーを比較する官能評価試験(甲68及び69。以下「甲68試験」という。)を実施したところ,16名中14名が,①の方が『コーヒー特有の苦味・酸味・渋み』が弱いと回答しており,この結果は,①が②よりも有意に『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』が弱いことを示している。」;
「甲77試験においては,①TPを含有し,マンナン分解酵素処理を行ったミルクコーヒー(TP・あり),②TPを含有し,マンナン分解酵素処理を行っていないミルクコーヒー(TP・なし)及び③乳化剤を添加せず,マンナン分解酵素処理を行っていないミルクコーヒー(無添加・なし)をそれぞれ比較したところ,①と②について,延べ69名中,13名が『同じくらい』,33名が②よりも①の方が『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』が『やや弱い~とても弱い』と評価し,①と③について,延べ69名中,16名が『同じくらい』,32名が③よりも①の方が『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』が『やや弱い~とても弱い』と評価した。そして,これらの比較を,本件発明1のコーヒー飲料と本件発明1以外のコーヒー飲料との比較として総合的に評価すれば,延べ138名中,29名が『同じくらい』,65名が後者よりも前者の方が『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』が『やや弱い~とても弱い』と評価したことになるところ,この結果は,前者が後者と比較して,『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』が5%の有意水準で有意に弱いことを示している。」
判旨
(ア) 原告の主張する飲料風味についての顕著な効果について
本件発明1の構成とすることが,その構成という観点からは当業者が容易に想到し得たものといえる場合でも「本件発明1に引用発明(甲4発明)と比較した有利な効果が認められ,それが本件特許の優先日当時の技術水準から当業者が予測し得る範囲を超えた顕著な効果といえる場合には,本件発明1の進歩性を認める余地があるものといえる。ただし,先願主義を採用し,発明の公開の代償として特許権(独占権)を付与するという特許制度の趣旨に鑑みれば,上記のような顕著な効果は,明細書にその記載があるか,又は,明細書の記載から当業者がその効果を推論できるものでない限り,進歩性判断の考慮要素とすることはできないというべきである。」
「しかしながら,原告ら主張のように,『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』との効果が,TPの含有とマンナン分解酵素処理との組合せにより発現するものであることについては,本件明細書中にその旨を説明する記載はなく,また,当業者が上記官能評価の結果からこれを推論することもできないというべきである。すなわち,本件明細書において,上記官能評価の結果として示されているのは,マンナン分解酵素処理されたコーヒー抽出物にTPを加えたミルクコーヒー(実施例1及び2)とマンナン分解酵素処理されたコーヒー抽出物にSEを加えたミルクコーヒー(参考例1及び2)を比較したところ,前者では,『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』との意見が多かったのに対し,後者では,『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みがある』との意見が多かったということにすぎず,このような結果からは,乳化剤としてSEではなくTPを添加したことが,『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』との風味に寄与することは理解できたとしても,TPの含有にマンナン分解酵素処理を組み合わせることによって上記風味が発現するものであることを直ちに推論することはできない。この点,コーヒー飲料の風味とマンナン分解酵素処理との関係を確認するのであれば,マンナン分解酵素処理されたコーヒー抽出物にTPを加えたミルクコーヒー(実施例1及び2)とマンナン分解酵素処理がされていないコーヒー抽出物にTPを加えたミルクコーヒー(本件明細書の比較例1(段落【0054】))との風味の比較が行われてしかるべきところ,本件明細書には,このような比較が行われたことを示す記載はない。また,マンナン分解酵素処理を行ったコーヒー抽出液を用いたコーヒー飲料に係る公知文献(甲1ないし3)をみても,当該処理がコーヒーの風味に与える影響についての記載はなく,技術常識に照らしても,当該処理を行うことによるコーヒー飲料の風味への影響を推測することは困難といえる。
してみると,原告らが本件発明1の顕著な効果であると主張する『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』との風味に係る効果が,TPの含有とマンナン分解酵素処理を組み合わせることにより発現するものであることについては,本件明細書にその旨の記載はなく,本件明細書の記載から当業者がこれを推論することができるともいえないから,上記効果をもって,本件発明1が有する甲4発明(TPを含有するものの,マンナン分解酵素処理が行われていないもの)と比較した有利な効果として認めることはできないというべきである。」
(イ) 原告らの官能評価試験の結果に基づく主張について
「引用発明と比較した有利な効果が発明の進歩性判断の考慮要素となり得るのは,当該効果が明細書に記載され,又は,明細書の記載から当業者が これを推論できる場合に限られるところ,本件明細書の記載からは,本件発明1の『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』との効果を甲4発明と比較した有利な効果として認めることができない・・・。これに対し,原告らの上記主張は,本件明細書の記載を離れ,事後的に実施した官能評価試験の結果に基づいて,本件発明1が甲4発明と比較した有利な効果を有する旨を述べようとするものであって,そもそも失当というべきである。」
裁判所はさらに、念のため、原告ら主張の官能評価試験の結果を検討している。
「甲56試験では,マンナン分解酵素処理されたコーヒー抽出物にTPを加えたものとマンナン分解酵素処理がされていないコーヒー抽出物にTPを加えたものとの味の比較(すなわち,マンナン分解酵素処理の有無による味の比較)が行われておらず,このような甲56試験の結果からでは,TPの含有にマンナン分解酵素処理を組み合わせることによって上記風味が発現するものであることを推論することができない・・・。」;
甲59試験については、「食品等の官能評価の統計的評価に係る技術常識によれば,上記のような一対比較法による官能評価試験の結果に統計的な有意差があると認められるためには,少なくとも総判定数に対し危険率5%の水準を満たす該当数が得られる必要があり,・・・ところが,甲59試験の結果においては,・・・実験例1の方が『コーヒー特有の苦み・酸味・渋みが弱い』とした者は・・・上記危険率5%の水準を満たす結果とはなっていないのであるから,甲59試験の結果は,実験例3よりも実験例1の方がコーヒー特有の苦み・酸味・渋みが弱いことを有意に示すものとはいえない。」:
「甲68試験の結果は,マンナン分解酵素処理の有無による味の比較結果を含み,かつ,マンナン分解酵素処理がされたコーヒー抽出物にTPを加えたミルクコーヒー(本件発明1に相当するもの)の方が,マンナン分解酵素処理がされていないコーヒー抽出物にTPを加えたミルクコーヒー(甲4発明に相当するもの)よりも,『コーヒー特有の苦み・酸味・渋みが弱い』ことを有意に示すものということができる。しかしながら,被告の実施に係る乙22試験の結果では,マンナン分解酵素処理の有無によって『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』に差がないことが示されており,また,・・・甲59試験及び甲77試験の結果でも,マンナン分解酵素処理の有無による『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』の有意な差が示されていないことを考慮すれば,甲68試験の結果のみに格別の信頼性を置くことはできない・・・」;
甲77試験については、「原告らは,実験例1と実験例2の比較の結果及び実験例1と実験例3の比較の結果を合算して総合的に評価すれば,延べ138名のパネリスト中65名が,実験例2又は実験例3(本件発明1以外コーヒー飲料)よりも実験例1(本件発明1のコーヒー飲料)の方が『コーヒー特有の苦み・酸味・渋みが弱い』と評価したことになり,この結果は,後者が前者と比較して,『コーヒー特有の苦み・酸味・渋み』が5%の有意水準で有意に弱いことを示している旨主張する。
しかし,実験例1と実験例3の比較は,マンナン分解酵素処理の有無のみに着目した味の比較ではなく,その結果を実施例1と実施例2の比較の結果と合算した結果によって,マンナン分解酵素処理の有無による味の差を評価することはできないから,当該合算した結果に上記のとおりの有意差が認められるからといって,本件発明1の『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』との効果がTPの含有とマンナン分解酵素処理の組合せにより発現するものであることが示されることにはならない。」
「これらの試験結果を総合してみれば,これらによって,本件発明1の『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』との効果がTPの含有とマンナン分解酵素処理の組合せにより発現するものであることが確認できると断ずることはできない。」
解説/検討
本願明細書の実施例には、本件発明のコーヒー飲料について「実施例1~3に関しては、・・・『コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い』との意見は多かった(約80%)。」(段落【0056】)との記載はあった。しかし、「コーヒー特有の苦味・酸味・渋みは弱い」という風味上の効果が,TPの含有とマンナン分解酵素処理を組み合わせによって発現することを示す明確な記載はなかった。したがって、本件は、構成と作用効果との対応関係を、明細書中で明確に示しておくことの重要性を示す事例といえる。
なお、出願後に補充した実験結果の参酌について、知財高裁平成21年(行ケ)10238号)「日焼け止め剤組成物事件」には、次のように示されている。
「本願当初明細書において明らかにしていなかった『発明の効果』について,進歩性の判断において,出願の後に補充した実験結果等を参酌することは,出願人と第三者との公平を害する結果を招来するので,特段の事情のない限り許されないというべきである。
・・・当業者において『発明の効果』を認識できる程度の記載がある場合やこれを推論できる記載がある場合には,記載の範囲を超えない限り,出願の後に補充した実験結果等を参酌することは許されるというべきであり,許されるか否かは,前記公平の観点に立って判断すべきである。」
