【DPPⅣ阻害薬リナグリプチンの5mg・1日1回という用法・用量の特定に係る医薬用途発明の進歩性が否定された事例】
投稿日:2026年6月11日 |
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著者:弁理士 池田 直俊
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参照条文/キーワード/論点 |
進歩性(特許法29条2項)/医薬用途発明/用法・用量クレーム/主引用発明の認定/技術常識/薬事承認と技術常識の関係 |
ポイント
本件は、リナグリプチンの5mg・1日1回という用法・用量を特定した医薬用途発明に係る特許(特許第6143809号)について、被告が無効審判を請求したところ、全請求項(請求項1~8)に係る発明について進歩性欠如により無効とする審決がされたため、原告(特許権者)がその取消しを求めた事案である。知財高裁は、原告が主張した取消事由をいずれも採用せず、原告の請求を棄却した。
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判決概要 |
| 裁判所 | 知的財産高等裁判所第4部 |
| 判決言渡日 | 令和8年2月9日 |
| 事件番号 | 令和7年(行ケ)第10054号 |
| 事件名 | 審決取消請求事件 |
| 裁判長裁判官
裁判官 裁判官 |
長谷川 浩二
岩井 直幸 安岡 美香子 |
事案の概要
(当事者)
原告(特許権者):ベーリンガー インゲルハイム インターナショナル ゲゼルシャフト ミット ベシュレンクテル ハフツング
被告:沢井製薬株式会社、日本ジェネリック株式会社
第1 事案の概要
1 本件特許及び経緯
特許番号: 特許第6143809号
優先日: 2006年5月 4日
原出願日: 2007年5月 3日
出願日: 2015年6月16日(分割出願)
登録日: 2017年5月19日
無効審判請求:2023年7月10日(無効2023-800045号)
無効審決: 2025年3月19日
訴え提起: 2025年5月30日
判決言渡: 2026年2月 9日
2 本件発明
本件発明1は、以下のとおり、本件化合物(リナグリプチン)を「5mg用量」で「経口投与用」に含み、「タイプ2糖尿病の治療用」であり、「1日に1回投与するため」の医薬組成物を規定するものである。
経口投与用に5mg用量の1-[(4-メチル-キナゾリン-2-イル)メチル]-3-メチル-7-(2-ブチン-1-イル)-8-(3-(R)-アミノ-ピペリジン-1-イル)キサンチンを含む、タイプ2糖尿病の治療用医薬組成物であって、1日に1回投与するための前記医薬組成物。
なお、請求項2~8は、他の抗糖尿病薬との併用を特定するものである(詳細省略)。
3 添付文書(トラゼンタ錠)
トラゼンタ錠(有効成分:リナグリプチン)の添付文書を参照すると、有効成分、効能又は効果、用法・用量に関する記載が、本件発明の構成要件と対応している。このことから、本件特許は、トラゼンタ錠に係る用法・用量を保護対象とする医薬用途特許であると位置付けられる。

4 主引用発明(甲1発明)
主引用例である特表2006-503013号公報(甲1)は、原告(特許権者)であるベーリンガー社自身に係る出願の公表公報であって、本件優先日前に公開された刊行物である。なお、甲1は、リナグリプチンの物質特許(特許4233524号)に係るものでもある。
5 本件審決が認定した甲1発明及び相違点
本件審決は、甲1発明を、以下のとおり認定した。
「DPP-Ⅳ阻害活性を有する1-[(4-メチル-キナゾリン-2-イル)メチル]-3-メチル-7-(2-ブチン-1-イル)-8-(3-(R)-アミノ-ピペリジン-1-イル)キサンチン(判決注:本件化合物)を含有する、タイプⅡ真性糖尿病を治療するための薬理組成物であって、本件化合物が経口経路により投与される、前記薬理組成物。」
【相違点1】
本件発明1においては、「5mg用量」「1日に1回投与する」と特定されているのに対し、甲1発明においては、用量及び投与回数は特定されていない点。
6 本件審決の理由の要旨
本件審決(無効審決)は、以下のとおり、本件発明の進歩性を否定した。
本件優先日当時、以下の各技術常識が存在した。
ア (…省略…)
イ DPPⅣ阻害薬は、2型糖尿病の経口投与可能な治療薬として使用可能であること(以下「技術常識2」という。)。
ウ 医薬品の用量は、通常、非臨床試験の結果等を総合的に判断し、ヒトに対して十分に安全と見込まれる用量を推定して初回投与量とし、段階的に用量を増して安全用量の範囲を推定する第Ⅰ相試験から、第Ⅱ相試験、第Ⅲ相試験へと順に進めていく手順を踏んで、最終的に決定されること(以下「技術常識3」という。)。
エ (…省略…)
(2) 本件発明1について
技術常識2を踏まえれば、甲1発明は上記…のとおり認定され、本件発明1と甲1発明との間には以下の相違点1が存在する。
【相違点1】
本件発明1においては、「5mg用量」「1日に1回投与する」と特定されているのに対し、甲1発明においては、用量及び投与回数は特定されていない点。
技術常識3を踏まえれば、甲1発明を、相違点1に係る本件発明1の構成を有するものとすることは、当業者が通常有する創作能力の範囲でなし得る。また、本件発明1が甲1発明に対して顕著な効果を有するともいえない。したがって、本件発明1は、甲1発明及び技術常識に基づいて、当業者が容易に想到することができたものである。
要するに、本件審決は、「DPP-IV阻害薬は、2型糖尿病の経口投与可能な治療薬として使用可能である」との「技術常識2」を前提として、甲1発明をタイプ2糖尿病治療用の経口投与用医薬組成物として認定し、本件発明1との相違点を「5mg用量」及び「1日1回投与」という用法・用量の特定にあると整理した。その上で、「医薬品の用量は非臨床試験、第I相、第II相、第III相試験を経て最終的に決定される」との「技術常識3」を踏まえれば、当該用法・用量の特定は当業者が通常の創作能力の範囲内でなし得るものであり、さらに顕著な効果も認められないとして、本件発明1の進歩性を否定した。
第2 原告の主張する取消事由
原告は、訴訟において、以下のとおり主張した。
【原告の主張】
(1) 甲1発明の認定について
本件審決は、技術常識2の認定を誤り、その結果、甲1発明の認定を誤って、本件発明1と甲1発明との相違点を看過した。
ア 本件優先日(平成18年5月4日)当時、DPPⅣ阻害薬は2型糖尿病の治療に用いることができると期待されていたものの、未だ臨床試験段階であり、治療薬として承認されておらず、実際に治療に使用されていなかったから、「2型糖尿病の経口投与可能な治療薬として使用可能であること」が技術常識であったとはいえない。
イ また、甲1文献には約7000にも上る膨大な数の化合物が開示されており、それらが、極めて多数の疾患の治療に適する可能性があること、投与経路は静脈内経路又は経口経路があることが記載されている。そのため、この中から、本件化合物を、タイプⅡ真性糖尿病を治療するため、経口経路により投与することを、積極的あるいは優先的に選択すべき事情を見いだすことはできない。
(…省略…)
その結果、本件発明1においては、本件化合物をタイプ2糖尿病の治療用医薬組成物という用途に5mg、1日1回経口投与という用量及び投与経路で使用することが特定されているのに対し、甲1発明においては、これらの点がいずれも特定されていないとの相違点が存在する。
(…省略…)
要するに、原告は、主として、①本件優先日当時、DPP-Ⅳ阻害薬は2型糖尿病治療薬として薬事承認されておらず、実際の治療にも使用されていなかったため、「2型糖尿病の経口投与可能な治療薬として使用可能であること」は技術常識ではなかったこと、②甲1文献には多数の化合物及び多数の疾患が記載されており、その中から本件化合物及びタイプⅡ真性糖尿病を積極的又は優先的に選択する事情はなかったこと、③したがって、本件審決における甲1発明及び相違点の認定には誤りがあることを主張した。
判旨
裁判所は、原告の主張をいずれも退けた。
まず、判決は、以下のとおり、審決における甲1発明及び相違点1の各認定に誤りはないとした。
ア(ア) (…省略…)
これらの事実からすれば、本件優先日当時、甲1発明の出願人である原告以外にも、複数の製薬会社(当業者)が、DPPⅣ阻害薬によって2型糖尿病を治療する発明につき特許出願を行い、複数のDPPⅣ阻害薬につき2型糖尿病治療薬としての薬事承認に向けた臨床試験が進められていたと認められる。そうすると、本件優先日当時、DPPⅣ阻害薬一般が、DPPⅣ阻害活性に基づいてインスリンの作用を増強することにより、2型糖尿病(タイプ2糖尿病)に対して治療効果を有し、経口投与可能な治療薬として使用可能であることは、当業者にとって技術常識であったとみることができる。
したがって、本件審決における技術常識2の認定に誤りはない。
(イ) これに対し、原告は、本件優先日当時、DPPⅣ阻害薬が未だ2型糖尿病の治療薬として薬事承認を得ておらず、実際の治療にも使用されていなかったことを指摘し、使用可能との技術常識までは存在しなかったと主張する。
しかしながら、薬事承認は、医薬品として製造販売することを承認する行政行為であり(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律14条参照)、これを受けなければ実際の治療には使用できないものであるが、このことと、当該医薬品が特定の疾病に対して治療効果を有するかに係る当業者の認識は別個の問題である。そして、上記(ア)の各事実からすれば、DPPⅣ阻害薬については、本件優先日当時において、当業者の間に、上記技術常識が存在していたと認められ、薬事承認の有無はこの点の判断を左右するものではない。
イ(ア) 次に、甲1文献の特許請求の範囲には、タイプⅡ真性糖尿病等を治療するのに適した薬理組成物を製造するための、一般式Ⅰで表される化合物のうち、本件化合物を含む30種類の化合物の使用についての発明が記載されている(請求項1、17、20)。
また、発明の詳細な説明には、一般式Ⅰで表される化合物はDPPⅣ阻害活性を有し、これにより特にタイプⅠまたはタイプⅡ真性糖尿病を治療するために使用されること、このうち本件化合物を含む上記30種類の化合物が最も好ましい化合物であること(【0001】~【0003】、【0025】~【0027】)、本件化合物は上記30種類のうちDPPⅣ阻害活性が最も強い6種類の化合物に含まれること(【0039】【表1】)、一般式Ⅰで表される化合物がその効果を達成するのに必要な用量は、経口経路による場合には1~1000mgの範囲、好ましくは1~100mgの範囲、1日当たり1~4回投与であること(【0043】)が、それぞれ記載されている。
これらの記載に接した当業者は、技術常識2を踏まえ、甲1文献には、本件審決が認定した甲1発明(前記第2の3(2))が記載されていると認識すると認められる。
(イ) これに対し、原告は、上記一般式Ⅰで表される化合物は約7000にも及ぶ上、甲1文献には治療可能性がある多数の疾患が記載されているから、この中から、本件化合物を、タイプⅡ真性糖尿病を治療するため、経口経路により投与することを、積極的あるいは優先的に選択すべき事情を見出すことはできないと主張する。
しかしながら、上記(ア)のとおり、甲1文献には、本件化合物が、DPPⅣ阻害活性が最も高い6種類の化合物のうち1つとして記載された上、タイプⅡ真性糖尿病が、DPPⅣ阻害薬の使用によって治療できる疾患として強調して記載されている。これに加え、技術常識2の存在を勘案すれば、当業者において、本件化合物及びタイプⅡ真性糖尿病を積極的、優先的に選択することは自然な発想であるといえる。
したがって、原告の上記主張は採用できない。
ウ 以上によれば、本件審決における甲1発明及び相違点1の各認定に誤りはない。
また、裁判所は、以下のとおり、甲1発明に技術常識3を適用すれば、相違点1に係る構成、すなわち「5mg用量」「1日1回投与」に想到することは容易であると判断した。
そこで検討するに、上記(1)イ(イ)のとおり、甲1文献の発明の詳細な説明には、一般式Ⅰで表される化合物がその効果を達成するのに必要な用量は、経口経路による場合、好ましくは1~100mgの範囲であること、1日当たり1~4回投与すること(【0043】)が記載されている。医薬品の用量は、通常、非臨床試験の結果などを総合的に判断し、ヒトに対して十分に安全と見込まれる用量を推定して初回投与量とし、段階的に用量を増して安全用量の範囲を推定する第Ⅰ相試験から、第Ⅱ相試験、第Ⅲ相試験へと順に進めていく手順を踏んで、最終的に決定されるとの技術常識3に照らせば、甲1文献に接した当業者は、上記幅のある数値の下限値(1mg、1日1回投与)を初回投与量の参考として用い、上記手順を踏んで最終的な用量を決定すると認められ、本件発明1が特定する「5mg」「1日1回投与」との用量は、上記手順を踏んだ結果、最終的に当業者が選択し得るいくつかの用量に当然に含まれるとみることができる。
したがって、当業者が、「5mg」「1日1回投与」との用量に想到することは容易であったと認められる。
イ (…省略…)
ウ 以上によれば、当業者は、甲1発明に技術常識3を適用して、相違点1を有する本件発明1を容易に想到し得たということができるから、本件審決の判断に誤りはない。
以上のとおり、裁判所は、①技術常識2の認定に誤りはないこと、②薬事承認の有無は当業者の技術認識とは別個の問題であること、③甲1文献の記載及び技術常識2を踏まえれば、本件化合物及びタイプⅡ真性糖尿病を選択することは自然な発想であること、④甲1発明に技術常識3を適用すれば、5mg・1日1回投与に想到することは容易であることを理由に、審決の判断を維持した。
解説/検討
本件は、いわゆる「用法・用量クレーム」の進歩性が争われた事例であり、以下の点が注目される。
第一に、薬事承認の有無と技術常識の関係について、本判決は、薬事承認は行政行為であって、当該医薬品が特定の疾病に対して治療効果を有するかに係る当業者の認識とは「別個の問題」であると判示した。すなわち、優先日当時に薬事承認を得ておらず、実際の治療にも使用されていなかった医薬品であっても、複数の製薬会社が臨床試験を進め、開発を競っている状況においては、当該医薬品又は同種薬剤が特定疾患の治療薬として使用可能であるとの技術常識が成立し得るとされた。
第二に、引用文献に多数の化合物が開示されている場合でも、当該化合物が好ましい化合物群又は活性上位群として明示され、かつ対象疾患が強調して記載されている場合には、技術常識と相まって、当該化合物及び対象疾患を積極的、優先的に選択することは自然な発想であるとされた。
第三に、用量の容易想到性については、本判決は、臨床開発における通常の用量設定過程を重視している。すなわち、引用文献に幅のある用量範囲及び投与回数が記載されている場合、その下限値を初回投与量の参考として段階的に臨床試験を進めることにより、特定の用量・投与回数に至ることは、通常の創作能力の範囲内であると評価された。
一方、用法・用量発明であっても、当該用法・用量の選択に予測困難性がある場合や、当該選択により従来技術から予測し難い顕著な効果が奏される場合には、進歩性を肯定し得る余地がある。しかし、本件では、本件明細書に具体的な実験データが開示されておらず、「5mg・1日1回投与」という用法・用量の技術的意義や顕著な効果を裏付ける事情が十分に示されていなかったため、当該用法・用量の特定は、臨床開発過程における通常の検討又は最適化の範囲にとどまるものと評価されたと考えられる。
したがって、用法・用量特許の有効性を維持するためには、当該用法・用量が単なる投与条件の最適化にとどまらないこと、すなわち、その選択に技術的意義があり、予測困難性又は顕著な効果が認められることを、明細書の記載や実験データ等によって具体的に基礎付けておくことが重要である。
